いちご。
◇昨日、ジムに行ったら血圧が下がり、体重も前日から1キロ減っていた。私は当然喜んだが、後で冷静になって考えてみると体重の方は、いつもの普通のパンツではなくショートパンツをはいて行ったから、その分軽くなっただけかもしれない(笑)。
前に行ってたスイミングクラブをやめて、こっちに入ったのが2月で、そのころから次第に体重は減ったのだが、これも考えて見ると、ちょうどだんだん薄着になる時期だったから、どこまでほんとに脂肪が消えたのかは謎だ。
このジムが前のスイミングクラブと比べていいところは、他の会員や職員とあまりあいさつをしなくてもかまわないところだ。スイミングクラブの方も悪くはなかったのだが、どこで誰に会っても、あいさつしなくてはならないのが、かなりきつかった。
私は「男に生まれたらよかった」と思ったことも「女に生まれてよかった」と思ったことも、思い出す限り多分生まれて一度もないんじゃないかと思うけど、たったひとつ男がうらやましいかもしれないのは、シャーロック・ホームズのお兄さんが入っているディオゲネス・クラブという男性だけの会話禁止のクラブである。まあ、男に生まれたって、皆がそこに入れるわけじゃないし、それどころか、ものすごくやかましい熱い交流をする男性の集りの方がずっと世の中には多いから、同じことかもしれないが。
◇ところで「ヘンリ・ライクロフトの私記」だ。これは若いころ超貧乏で作家志望だった青年ヘンリ・ライクロフトが、思わぬ遺産を貰ってそこそこ豊かになり田舎で静かな晩年を送ることができた、その晩年に書いたエッセイ集のかたちをとっているが、作者のギッシングは、そんな遺産ももらわなかったし、そんな晩年も送れなくて貧しいままだったから、言ってみりゃ小説みたいなものだ。
おかしいのは、老紳士ヘンリ・ライクロフトは若い時を回想して、よくあんなやかましい都会で金もなく必死で生きていたものだ、それに比べて今のこの幸福は…としれっとして書いてるが、そうやってふり返っている、ひどい生活が作者の現実で、うっとりと描いている豊かな自然に包まれた、何不自由ない田舎暮らしの毎日が、作者の夢見ている虚構なのだ。
その皮肉っぽさと、洒落た精神が私は大好きで、そして、田舎の四季の美しい描写や、作家にはなれなかったけど快適な家に住んで立派な使用人にかしづかれて、好きなだけ本を読める、その理想的生活が、読んでいてもうわくわくした。
まあ、それは今でもわくわくするし読んでて幸福にもなるのだが、今の私は使用人はいないし金にもそんなに余裕はないけど、のんきに猫と暮らして好きな仕事と研究をしている毎日は、ちょっとヘンリ・ライクロフトに似てないこともなくて、そして、そういう目で見ると、ギッシングが描いたライクロフトの日常は、昔とちがって、水彩画がにじむように、淡くぼやけて来る。
いくら遺産をもらって余裕があっても、その金の管理はそれなりに大変だろうし、田舎の暮らしはどんなにしっかりした家政婦や使用人がいても、やっぱり自分で采配をふるい管理しなければならないことがあるはずだし、家や庭にも気になることが次々生まれるだろうし、そういうことが全然書かれていないのが、妙にものたりないし、もどかしい。
子どものころに愛読して暗記するほど読んだ本は、「赤毛のアン」にしても「シャーロック・ホームズ」にしても「ドリトル先生」にしても「異邦人」にしても、年とって読んでも私の場合まったく魅力は変わらないのが逆に不気味なくらいなのだが、「ヘンリ・ライクロフトの私記」だけは確実に印象がちがう。色あせたと言えば色あせた。それはそれでまた魅力の一つなのかもしれない。
◇古い家の方の玄関わきに、数年前から植えっぱなしにしているイチゴが、今年もつぎつぎ実をつけはじめた。地面にふれると、たちまちダンゴムシやナメクジにかじられてしまうので、熟れそうなのをみると、ちょっと持ち上げて葉っぱの上にのっけるようにしておくと、わりと無傷で赤くなる。
通りがかりに見つけたそばから、ちぎっては食べている。けっこう甘い。
三毛猫シナモンの墓の上に、私がてきとーにねじこんでおいた、グラジオラスの球根が、次々に芽をだして伸び始めて、シナモンのしっぽのように、しゅうっとまっすぐな長い葉を何本も宙に伸ばしている。回りに植えたペチュニアやサクラソウも、かわいらしい花を咲かせつづけてくれている。あー、しかし、庭の隅の方は荒れ放題、何としても来週には草取りをしないといけない。