オリーブのベッド。
◇オデュセウスのベッドのこと、ひょっと気づいて検索とかしてみたら、うーん、よくはわからんのだけど、四方の柱じゃないかも。そりゃそうだよね、そんなに都合よく、四角に四本生えてはないだろ。それとも、ひし形だか平行四辺形だかのゆがんだベッドにしたのかしら。オデュセウスならやりかねん(知り合いじゃないけど)。
じゃ、一本の木をどっか一つの支柱にしたってことかなー。でも、それじゃ迫力ないもんなー。むしろ、四本が、ちょうどベッドの大きさぐらいに四角に生えてたのを見て、「お、これ、いいんじゃね?」とか思ったオデュセウスが強引にベッドにしたって方があり得るよなー。何せ、木馬なんか作る人だぜ。まったく私がトロイ方なら、あんなアホな作戦で滅亡したくないよなあ。したんだけど。
ううむ、忙しい朝っぱらから、何をつまらんことを考えてるんだ。
そう言えば、学生の一人が私が悪口言ったと聞いて「アナと雪の女王」を見に行ったみたいなんだけど(ほら、こうやって私はチケットの売り上げに協力してしまうんだ)、まあよかったと思ったようで、「あまり何も考えないで楽しむ方がいいんじゃないでしょうか」と書いていて、思わず笑ってしまった。
いーよなー、今の若い人って、というのと、でもちょっと困るかもなーというのと、半々の気分。
いやさ、「そんなにごちゃごちゃ考えんで楽しめよ」とか「難しいこと言わんでも」なんて言うのは、若者や学生に対して太鼓腹の中年男か金持ちの年寄りが言うせりふだよなあ、ふつう。って何がふつうかよくわからんけど。
金がなくて力もない若者は、考えることしかすることなくて、考えることしか武器がないから、くだらんことや、いらんことを、あれこれ考えまくるしか仕事はないんじゃないだろか。特に学生と来た日には。
オデュセウスのベッドについては、ギッシングが「ヘンリ・ライクロフトの私記」の中で「何という美しい文章だろう」みたいにうっとりとして引用してて、実はそれで私も印象に残ってる。この本、それこそ高校生ごろの若いときは、めちゃくちゃ好きな一冊だったが、最近はちょっとそうでも…という話は夜にでも。
◇さて今から文学講座の浄瑠璃の予習の仕上げをしないと。「平家女護島」だけど、教経が「二」の上に横棒をひいて「三」にして公文書を改ざんしちゃう場面だ。ちなみに彼は正義の味方です。こういうものを読んでるから、古典文学愛好者のモラルはおかしくなるのかもね(笑)。しかし、その実、人間として踏みにじっていいモラルと、よくないモラルの区別とは、しっかりとたたきこまれもするんだけどね。