いつになるやら
うう、すみません。
ちょっと張り切って、「研究の沼」の「江戸紀行備忘録」に新記事を二つアップしようとしてるのですけど、例によって時間がなくて、いつ記事が書けるかわからない。うまく表示されるか心配で、項目だけアップしちゃって申しわけない。今日じゅうには何とかします…ほんとかね。
テレビに比べれば新聞はまだなんぼかましと思っているのですけど、さっきネットでちらと見たら、総裁選の報道で、ある候補者が党内有力者との関係で(意地でも名前書いたりして長くは総選挙での選挙活動になるような宣伝行為の片棒なんかかつがない)「逆境」に立ったとか書いているみたいで、しんそこ、またかとうんざりしました。
首相の改憲への執着を「悲願」とか、辞任前の模索を「有終の美」とか、どこまでこういう身内のファンクラブの雑誌みたいな用語用いて、いやしくも私らの税金使ってる一国の政治を論評すんの。
「悲願」も「逆境」も「有終の美」も、個人的なご事情で、そんなの国民の知ったこっちゃないでしょうが。高校野球かJリーグの記事じゃあるまいし、何で私たちがそんな身内感覚を共有しなきゃならんのさ。そりゃ国民も政府や首相が家族か友人みたいな気分にならされて、批判するのはおかわいそうだの病気なのにお気の毒だのと思わなきゃならんようにさせられるわい。自然と、気づかない内に。
ことばって大事だ。それで飯食ってるんだったら、少しは気をつけて使ってよ。あ、そうか、首相らと飯食って酒のんで麻雀とかしてるから、もう記事書く前から身内感覚どっぷりなのかい。それが無意識に記事にだだ漏れしとるんかい。あほくさ。そんなもんを金払って読まされるこっちもよくよくなめられたもんさね。
あ、そうそう!これも前から気になってるんだけど、毎日新聞(と書いちゃった)は、それでもって、野党関係の記事にはすぐ「躍起」とか見出しをつけたがる。「躍起」ってことばの意味やニュアンスを知らんで書いているのかもしれないから、一回辞書引いて来い、と新聞記者には大変失礼なことを、つい言いたくなってしまう。これも意図的なんですかね。無意識だったらなお救いがないけども。
台風のせいか曇ってる。庭に水をまこうか、また迷ってる。コーヒーの粉が切れかけてたから、気分転換もかねて、今日は時々行く喫茶店にお茶でも飲みに行こうかと思ってたんだけど、どうしようかな。ちなみに週二回の燃えるごみの回収は、次の月曜日は台風でお休みだと組長さんから留守電が入ってた。むふふ、木曜日に出しておいてよかったなあ。