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いや、常識じゃないかもしれない

じゅうばこさん

あなたがあげた例で言うと、そういう時にけが人や病人や自分自身をはげまそうと、元気できれいな顔をして、おしゃれして毎日くらしている奥さんがいたら、「ご主人が入院しているのに、よくあんな元気でいられるね、不謹慎な」と眉をひそめるバカはきっと周囲に、少なからずいるでしょうよ。(笑)

ゆきうさぎさん

よくはわかりませんが、太陽光発電に限らず、原子力発電に比べたら日蔭の身である分野としたら、えげつないほどがんばらないと、進歩も発展もできないのかもしれません。

以前、職場で情報処理センター関係の仕事をしたとき、自分がふだんたずさわる文学関係とでは、予算のけたがふたけたみけたちがうのに、目を回したものです。10万の本を予算で買うのも勇気がいった国文学関係の世界と、数百、数千万の機械の更新が普通に行われるコンピュータの世界は、落差がありすぎました。

しかし、そうしないと最新の分野は世の中の動きに遅れるし、だからこそまた、この分野は絶え間ない発展と進化をするのだろうと、ため息をつきつつ納得もしていました。
原発にかぎらず、国や社会の後押しを受けて、推進されている分野には、そういうところがあると思います。

それだけの危険をおかし犠牲をはらって、その方面に金や時間や人材をついやする価値があるかないか、それを評価し判断し、いわゆる人間の未来にとって、各自の人生にとっての事業仕分けをするのに必要なのは、哲学であり文学であり宗教でもあるのでしょう。
そういう精神的な分野にも、社会が一定の投資をしておかないと、科学や文明の発達は、ゆがんだ、もろいものになるでしょう。

今回の災害で、被災地でもそれ以外でも、一部の買い占めに走る人があった程度で、諸外国が、そして日本国民自身が目をみはるほど、この国の人々の精神は、強く、まっとうでした。不謹慎かつ乱暴な言い方をするなら、これが自民党の政治(それに反対・抵抗した人々の存在もふくめて)と日教組の教育(それに反対・抵抗した人々の存在も含めて)と、どちらの功績か、それとも両方の功績かはわかりません。ですが、築かれるものは誰かによって、どこかで築かれていたのだと実感します。

だから決して不安になったり絶望したりする必要はない。エネルギー問題にせよ何にせよ、正しい選択ができる力は、この社会にまだ十分に残されています。

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カツジ猫