いやーもう危なかった
ここ数日ノラ猫さんは庭に来ていません。
隣家の畑にも来ていないようです。
これで安心するほど私もヤワじゃないですが、ちょっと気持ちが落ち着いて来ると、
本当にこの毎朝ノラ猫のトイレ掃除とその対策状態が続いていたら、
どうなってたかと思ってちょっと恐いですね。
頭がおかしくなって、ネコイラズかトラバサミを置くようになっていたかもしれません。
そうしなかったとしても、かわいそうとかしちゃいけないとかより、
死骸を片づけるのがいやだったというだけのことだったんじゃあるまいか(笑)。
しょせん私の猫好きも動物好きも、この程度ってことですね。
虐待をする人の気持はあいかわらずさっぱりわかりませんけど。
私は嫌なものは、とにかくただもう消えてほしいだけです。
痛めつけようとか苦しめようとか、そんな関わりを持ちたがる人の気持が謎すぎる。
きっと本当はどこかで好きなんだろうなと思うと、
気持ち悪さでひときわ背筋がぞくぞくする。
垣谷美雨「あなたのゼイ肉落とします」を気軽に一気読み。片付け屋のお姉さんのトマリさんと妹のコマリさんを変に描き分けていない豪快さに笑いました。楽しかったし満足したけど、表紙のデザインが「儚い羊たちの祝宴」に似てる気がして、手抜きじゃん内容ともあまりマッチしてないし、と思いながら見比べたら、まあそう似てるってほどでもなかった。けど言っちゃ何だけど、絶対中身読まないで装丁したでしょこれと思ってしまった。読んでしてたらもっといかんけど。こんなお洒落でダークな感じの話じゃないよね、どう考えても。それとも私に読み取れてない、何かこう深い寓意でもあったのかしら。
んん、まあそれ言うなら、儚い羊の方も、内容にしっくり来る表紙でもないけどな。しかし米澤穂信の作品は、しっくり来る表紙作るのって、至難の技かもしれないけどな。
ツイッターの方にだいぶ前に上げときましたが、うちにはまだ来ない十万円の申請書、受給者を記す欄が、子どもたちの生まれた順じゃなくて、男の子の方が先になっていると、あるお母さんがツイートしておられました。そういうこと、子どもがいないとわからないので、書いて下さってありがたかった。
でも、あとになるほど、その事実にじわじわ腹が立って困ってます。もうね、しょせん、そんな民度の国やん。
とは言っても、こちらは、さすがにYahooのコメント欄でも、支持する声はなくなりましたねえ。