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いらつくなあ(5)。

ある程度はしょーがないと思ってるもんの、救援物資や義援金がどっかでとまって、腐って、処分されたりしてるという記事ほど、今はいらつくもんはない。

ほんとに私、はじめから、これはある程度覚悟してた。どうせそうなるんだろうから、少々腐っても、捨てられても、それでも関係ないぐらい圧倒的な数量で金やモノを送るしかないと思ってた。それはもう、被災しなかった人たちの、やる気とパワーをいつまでも、くめどもつきぬ泉のように、無尽蔵にしとくしかないとも思ってて、ちょっとはそうなりそうなことに、少しは希望をつないでた。

しかしもう、いくら何でも、一番使い勝手がよさそうな、そう思って物資を送るのがまんして、苦しい中から皆が送ったにちがいない現金が、まだ赤十字にあって配布もあまりされてないらしいという事実は、脱力じゃない、はっきり怒るぞ、私は。

いろいろ都合はあるんだろうよ。どこにどう、どんな基準で配布したらいいのかとか、そりゃたしかに難しかろうよ。しかし、そここそ、現地の役場の人なみの不眠不休で、突貫工事で会議でも何でもして、徹夜で頭しぼって考えて、何でもいい方法を考えつかんかい。それこそ義援金の一部くすねて、ごちそう食べて精をつけてもいいから、大至急それだけはせんかい。

決められないんなら最低でも、被災した自治体にばらまけ。そして、役場の臨時雇いの人を増やすなりしてもらえ。

私がいらついている最大は、被災地や被災者が気の毒というんじゃない。もちろん、それはあるよ。ていうか、あたりまえだ。中国のことわざにもあるじゃないか。わだちの水たまりでアップアップしてた魚が、帰りになんとかするって言った通行人にぶちきれた話。それほどあたりまえの常識なんだよ。今、当座、使わなければ、どんどん価値がさがって、あっという間にゼロになるってことは。

私がいらつく最大の理由は、それはもちろんとして、何よりも、これが義援金を送った大勢の人のやる気を、無限大に最高に、そいでしまうということだ。
それでなくたって、日本には寄付とか善意とかを恥ずかしがったり、もっとバカなら攻撃したりするって傾向が強い。今回、それがまったくなくて、誰もが正々堂々、おおっぴらに、モノでもカネでも血でも労働でも提供し、それを冷やかしたりおちょくったりする人がまるでないのを、私はせめてもの幸せと思ってきた。あまりにもそれが徹底していて、批判したらフクロだたきにされかねないのも、それはそれで問題かもとちょっと思ったりはしたもんだけど。

だけど、それほど、今回のこの状況は珍しいし、ある意味もろい。絶対に長くつづいてほしいし、定着してほしいし、そうでなくてはと思うけど、ちょっとでも何かあったら失速するかもしれない危うさだってないわけじゃない。だからこそ、この芽を真剣に大事に育てて行かなきゃならないし、それは復興計画のかなり重要な要素だぞ。

そうやって、初めて義援金を送ったりした多くの人にとって、一番不安なのは、ちゃんとそれが役に立ったかということ、一番うれしいのは、それがきちんと使われて人を救ったという手ごたえだ。

もしかしたら赤十字の人は、年中そんなことやってるから、そのへんの不安も喜びも想像できなくなってるのかもしれない。自分の善意の結果が見えない、無償の奉仕に慣れてるのかもしれない。しかし、いきなりそんなレベルの高い善意を一般大衆に期待すなよ、要求すなよ、もうまったく。

昨日、仮設住宅の家電製品が赤十字からの援助ってことで、でかでか報道されてたけど、あのようにやってもらえば、まだしも皆は満足する。寄付したのは決して金持ちだけじゃない。こづかい寄付した子どもとか貧しい年金さいた老人とか、皆それなりに苦しい中から、これがあればあれもこれもできるのにと思いながら拠出した、血のにじむような金だぞ。それを、おきっぱなしにして、日々貨幣価値を下げてるのか。即座に直接配布したら、ものすごい価値を生んだ、人命も救ったかもしれない金を、ためこんで無価値にしていくのか。ついでにこっちもいじましく言うが、倉庫に札束積んでるんでもなかったら、銀行預金でそれについた利子は、誰のものになるんだよ。まさか赤十字の収入にするとか言うまいな。

う、長くなりそうなので、わけます。

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カツジ猫