いらつくなあ(6)。
つづけます。
私の友人知人にも赤十字を信用してないやつは多くて、「どこかもっと即座に有効活用してくれる組織がないかしら」と、うじうじしていて、いまだに一円の義援金も出してない人がよくいる。社会的関心も高いし、けっこうな大金持ちなのに。私はそういう連中に怒ってたし、さげすんでた。死ぬ気で「そういう組織」をさがして、何が何でも寄付するならともかく、そうやってえらそうなこと言って、結局何もしないやつが一番罪が重いと思ったし、言いもした。
でも結局、その人たちが手放さないでいたお金も、私がいろんなことをあきらめてがまんして、必死で寄付したお金も、被災地にも被災者にもまだ届いてないってことでは、同じなのかい。あー、そんなことならあの金で、ステーキぐらい食えばよかった。バッグか服でも買うんだった。芝居の二つ三つ見るんだった。
と、こうなるのですよ、善意の金を使わないでためこんでおくということは、寄付した人に後悔させ、脱力させ、次の寄付をやめさせ、寄付しなかった人を安心させ、勝ち誇らせるのです。その効果は、ゼロじゃない、マイナスなの。まあないと思うけど、なくってほしいけど、今後、義援金や寄付の額が減っても減速しても、日本人はあきやすいとか言うなよな。ちゃんと迅速に、その善意を利用しなかった組織の罪と思えよな。
いつまでもあると思うな人の善意、寄付をしてほしい時には誰もいない、ぐらいの覚悟で臨んでほしい。赤十字にも同種の団体にも。これだけ集まったんだから、これからもずっと大丈夫なんて、どあまいことを考えてるんじゃないだろうな。
とにかく私は今後は、もう、即、絶対に目に見えるかたちで、人間でも動物でも救うのに使ってくれる組織に寄付します。キャラママさんの「九条の会」を通して、現地の「九条の会」にとか。
あ、でも、ここを読んでる皆さんは、そういうあてがなかったら、さしあたりは赤十字にでも寄付することはやめないで下さい。リンクしてる「北窓書屋」の管理人さんがいつか何かの本を引用してたけど、「何かをしない」という抵抗はだめです。「何かをする、しつづける」抵抗で、怒りや不満は示しましょう。
今日の選挙も、そのひとつ。どなたかが、「誰がいいとか、好きとかじゃない、誰を落としたいかで決めてる」とおっしゃってましたが、それでもいいから。っていうか、それもまた、大事なことだと思う。とにかく投票には行きましょう!