いろいろといちゃもんをつけたい夜。
◇別に見る気もなく、つい評判の「家政婦のミタ」の最終回を見てたのだけど、あーもう、やっぱりこのドラマも最後のわりとめでたしめでたしの食事の場面で、家政婦の手伝いをして料理を作ったのは、女の子だけなんだなー。でかい男の子が二人もいるってのに。不幸なことだと、つくづく自分でも思うが、こういう設定になったとたんに私はいかなる感動もできない不感症におちいるのだわさ。まるで、こっちがミタさんになったかのように、あらゆる感情がとざされる。
ことのついでに言ってしまうと、昨日見たNHKのドラマ「カレ、夫、男友達」(この順だっけ)も、原作を、これでもかってぐらい変えて現実めいた話にしてたなー。私は江国香織が特に好きってのでもないが、ここまで原作変えたら、さすがに作者に失礼ってもんじゃなかろか。
◇さらにもう、毒を食らわばテーブルクロスまでの勢いで言っちまうと、キャラママさんから、あんまりノれんかったなーとお墨つきで貸してもらった、中公新書の「競争と公平感」、ベストセラーらしいんだけど、ほんとに何だかよくわからない。経済学ってこんなもんかと思うけど、それじゃさすがにひどかろうから、やっぱ、この人の書き方や考え方の問題だろう。そう思いたい。
いろいろつっこめるって点では、いっそ遊べて面白い本なんだけどなー。そもそも、冒頭にわかりやすく何かを説明する例として、「あなたが漁師だったとしよう」とあるんだけど、とたんに思ったのが、え、この本、漁師は読んじゃいけないのかと思った私がおかしいのかなあ。おかしいんでしょうね。
そして、「あなたはサラリーマンのように毎日八時間漁に出かけるような仕事のしかたをするだろうか」と続くんだけど、そこでまた私は、そんなサラリーマンがそもそもいるのか?と考えてしまう。すでにもう、このへんで、私は何だか自分が討ち死にしたなーという感じになってしまった。
以下、目標漁獲高を決めて仕事をするか、大漁の時だけ海に出るかとか、いろんな選択があって、その結果の仕事の効率とかが検証されるんだけど、ほとんど一行ごとに私はボーゼンとして、ムリだろそんなの、どの程度の大きさの船持ってるか、家族はいるのかいないのか、中国の船とかと遭遇しそうな海なのかちがうのか、あらゆるケースがあるだろうに、「漁師」や「サラリーマン」でまとめられっかと全身の神経がいちいち抵抗したね。だめです、そんなラフな空想、しようがありません。
これは、定義や法則を考えるにあたって、抽象化するとか典型を求めるとか、そういうことでは片づかない。
雑多で多様で複雑な事象やケースを想定して、その上で最大公約数みたいな要約で、進めていい論証や定理を見つけて行くんでなくっては、最初から、「漁師」や「サラリーマン」で、ひっくくって、聞いてる100人が100人、皆ちがうイメージでとらえてるものを対象に論を進めていこうなんて、砂上の楼閣どころじゃない危なさで、到底私にゃついてけない。
あーでも、キャラママも言ってたが、経済学とか法律とか政治とか、こういう風に考えていろんなことを決めてるのかな。女しかり外国人しかり生活保護世帯しかり離婚しかり高齢者しかり。
個別の事例があまりに多様だからって、世の中のどこにも存在しないような、しっかり実体もたしかめられないような、茫漠としたイメージで、てきとーに対象を設定して、てきとーに結論を出すのって、あまりにもヤバかないかい。だから、その一方で、突出したわかりやすい存在があると、たちまちそれを右代表にしてしまって、それを基準に考えもする。
もう、ほんとに、こんなノリで経済学や政策が語られてるんだとしたら、つくづく恐い。ひたすら恐い。