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いろんなことを、つい考える

いっぺんゴジラがアメリカに行ったらどうやろかとか。

「サンチャゴに雨が降る」のDVD、五万出しても買っちゃおうかとか(買いません)。

「あんぱん」のヒロインを嫌ってたやつ、皆きらいとか。

順を追って説明します。

1)ドラ・ド・ヨングという人の「あらしのまえ」「あらしのあと」という児童文学の古典的名作がある。第二次大戦をはさんだ、オランダのお医者さん一家の話だ。子どものころに読んだ時は普通にホームドラマとして読んでたが、成長してからは戦争が家族に何をもたらすかが肌に伝わって来た。
 「あらしのあと」の方で、ある人物が、戦後のオランダの人たちがアメリカに期待をよせていることを実感し、合衆国の人たちが、自分の国で戦争が起こったときの悲劇をどの程度知っているだろうかと考える場面がある。子どものころは、その意味もよくわからず、ただことばだけを覚えていた。
 9・11や、ハリウッドのゴジラ映画を見たときに、つくづくそのことばを思った。自国が直接攻撃され蹂躙される恐怖や苦悩を実感も予測もしないままの国民って、それに近いことを目撃しただけで、あんなにショックを受けるんだなあと。そんな実感、どこの誰だって味合わない方がいいに決まっているけれど、トランプ大統領やその支持者を見ていると、そのことを空想もしないで世界情勢に口も手も出してほしくはないと痛感する。

そして、まだしも実際にその可能性が薄い、地の利やその他もあるアメリカならまだしも、いざ戦争になれば、早晩アメリカの前線基地としてしか活用されず、守ってなんかもらえるわけない(アメリカがひどいわけじゃない。どこの国だって他国のために自国を犠牲になんかしない)日本にいて、頭の上から爆弾が降って来る事態をリアルに想像もできないで発言する、日本在住の人たちにも同じような感覚を抱く。

2)最近のアメリカのやり方は、もうたがが外れたとしか見えないが、一方でそんなにびっくりもしないのは、映画「サンチャゴに雨が降る」で描かれた、民主主義で選ばれたチリのアジェンデ政権を攻撃して滅亡させたように、昔からアメリカはそういうことをずっと続けて来たってことを思い出すからだ。トランプさんのお人柄で、やり方がいちだんと雑で粗暴になってるだけで。そういう点でも「サンチャゴ」のDVD、再発売してくれないかなあ。映画としてもとてもいい出来なのに。どこかの古本屋さんでは五万円の値がついてて、私は前からひとつ持ってはいるのだが、貸出用の予備に買ってしまいたくなる。
 なお、チリのこのアメリカが起こした軍事クーデターについては、名喜劇俳優ジャック・レモンが「ミッシング」という名作を作り、他にもいくつかドキュメントがあった気がする。真偽の程は定かでないが、ギターの名演奏家ビクトル・ハラはこのクーデターの中で両手を切り落とされたとのニュースもあった。五木寛之の小説『戒厳令の夜』も、このクーデターを取り上げている。

アメリカは、そういう汚れた歴史を持つ国だ。そもそもの初めから先住民の虐殺だの奴隷制度だのと、ろくなことはしていない。だから私は信用しない。だが、だからこそ好きだ。キリスト教も共産主義もそれぞれに、醜い歴史と過去を持つ。同時に優れた美しい人々の存在もある。そのすべてをひっくるめて、私は愛し、憎み、警戒し、信じる。多分、私自身に対してもそうだ。

自虐史観ということばや感覚を私はまったく理解できない。過ちも失敗も犯さない人も国も私は好きになど決してなれない。それらのすべてを、見つめて、戦って、四つに組んで、否定し、理解し、そうやって共存する。

3)何をかくそう(笑)、私は朝ドラ「あんぱん」の中盤で、軍国少女になったヒロインの人気が下がって、視聴者の評判が落ちたことに、ものすごく腹を立てていた。そもそも軍国少女とも言えないほどのささやかさで、時代の動きや周囲の流れに影響されたヒロインの性質は、基本的にはあくまでも彼女らしく、自然で、ゆがんでいなかった。あの程度でも、当時の軍国主義に染まった人物を、認められないのか嫌悪するのかと、私は驚くしかなかった。

朝ドラをそれまであまり見たことはない。しかし、それも含めた戦後の映画やドラマや小説のすべてで、主人公やその親しい人々は、皆ひそかに戦争に批判的で平和を望み日本の敗北を願っていたという風に描かれて、「まともな人なら戦時下でも戦争反対だったのだ。そうではない人は皆悪人だし狂人だし、好きになれない、理解できない」と視聴者の多くが感じるようになっているなら、それは一つの洗脳、それも唾棄すべき洗脳ではないかと私には思えた。ひき逃げをしておいて、殺人をしておいて、「記憶がない」「私じゃない」と白を切って記憶を改ざんするのと同じぐらい、過去の自分と向かい合えない、許せないことと思えた。自分の選択、自分の行動、それらのすべてから目を逸らし、逃げ続けることでしかないと思った。そんなに恐いか。たった、それぐらいのことが。過去を見る目を失ったとき、未来にも人は盲目となる。私にはその方がよっぽど恐い。

今の世界と、この日本とで、せめて私は、自分のしたこと、しなかったことを忘れたくない。そして、朝ドラ「あんぱん」のヒロインを嫌いになった人たちは少なくとも一人残らず、前回の選挙の投票も含めて、今の時代に、この世界で、自分たちのしたこと、選んだこと、その理由、その原因を、誰一人として、絶対に、忘れてほしくない。今、私たちにできることは、多分誰にでもできる、最低限のことはそれだ。やったことを忘れるな。その意味と原因と結果とを、検証し、考えることを絶対にやめるな。まあ、こんなこと言っても無駄だろうけど、しない人はしないに決まっているけれど、それでも私は、それを願う。それだけを、せめて、求める。

キッチンにおきっぱなしで特に世話もしていない、いただいて十六年目のシクラメンは、とことん元気に、いっぱい花を咲かせています。ひょっとしたら私より長生きするんじゃなかろうか(笑)。

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カツジ猫