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うふふっ

居間を片づけていたら、田舎の物置においてきた、紅い布張りの安楽椅子がどうしても欲しくなり、でも取りに行く時間はなくて、ここ数日もんもんとしてた。今日の午後、見に行く予定の映画が来週までやってるとわかったので、よしっと準備して飛び出したが、もうそのときは夕方で、田舎に着いたのは六時すぎだった。

でもまだ曇り空ながら十分明るかったので、墓参りをした。十連休で帰省してお参りに来る人もいるかもしれないから、墓石をきれいに拭いて花を飾って来た。地域の人が掃除したのか、墓地はすっきり片づいていた。
その後、物置で片づけをして、椅子を車に積み、母家で夕食をごちそうになって帰る。いただいたコーヒーのせいでばっちり目が覚め、高齢者の運転に文句をつけられないよう、せいぜい注意しながら、雨の高速を飛ばして無事に帰宅した。

連休前の嵐の前の静けさなのか、道はそれほど混んでおらず、むしろがらんとしていて、車はすいすい走れた。若葉の中を走るのはなかなか快適だったし、これで、連休の間は家にこもって仕事ができそうだ。うふん、やったね。
雨がふっているので、椅子も他の荷物もまだ車に積んだままだ。明日の朝、下ろせるといいのだが。

沖縄の戦後を描いた長編小説「宝島」を読み上げる。パワフルで熱くて、暖かい。あらためて沖縄が好きになり、その底力の源を教えられたようだ。苦しめられて、ふみにじられて、血を流して涙を流して、ひたすらに豊かに強くなって来た島。

私は何度か沖縄に行って、特に最初に行ったときに、亜熱帯みたいな風土でありながら、町並みも風景も何と繊細で可愛くていじらしい感じがするんだろうと、びっくりした。
それは、母が長く住んでなつかしがっていた長崎の町の持つ、暖かで穏やかで細やかな印象とも、どこか似ていた。
理屈も何もないのだけれど、爆撃とか原爆とかは、こういう優しい暖かい場所にふりそそぐのだなと、胸が苦しくなるような切なさで考えた。

私自身は大分県の出身で、もちろん故郷としては好きだけど、荒っぽくてがさつで図々しいパワフルさにへきえきする時も多くて、何だかやけっぱちに、こういうところには爆弾とか天災とか絶対に来ないのだと思ったりすることもあるのだわさ。

不幸や災難って淋しがりっていうか、自分を受けとめてくれそうな優しい人をめがけて行きそうな気がしてならない時がある。相手にしてもくれなさそうな大ざっぱでしたたかな人や土地には、最初からあきらめて、避けるっていうか近づかない。卑怯者めが。

こんな話を、こんな顔して寝転んでいた母と、よくしゃべったことを思い出しながら、あらためて母の写真を見ている。

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カツジ猫