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緑の季節

ゆうべの雨が上がって、窓から見える道の向かいの木々の緑がきらきらしてる。とても小さいが昔からある古い森で、木も十本たらずだが、ビルぐらいに背が高い巨木だ。それが風にゆらいでいるながめは最高だが、その内にこれも切られるという噂があって、ちょっと心配している。家の背後にある崖の上の、柿と栗の大きな木も、宅地造成でどうやら切られそうで淋しい。

もっともなあ。田舎の大きな古い家の管理に四苦八苦して、今は首尾よく最高によい方々に買っていただいて幸せなのだが、一時期私は友人知人が「なつかしい。ここに来ると昔のようだ」とか言ってくれるたびに、私はあんたらの思い出の場所の管理人かいと、ひそかにぐれていた。

その余波からか、新聞のコラムや雑誌のエッセイで、近所の古いきれいな家がこわされて更地になり、老婦人が世話していた花の咲き乱れる庭もなくなって悲しいとかいう記事を見るたび、かすかにだが、むかっとする。
そこに住んで、その家や庭を管理していた者の身になって見ろやい。
そこにいた老人たちのことを遠方から気にかけていた家族親族の身にもなって見ろやい。
家をこわして、庭をなくして、更地にするまでに、家族や親族にあったであろういざこざや泥仕合や苦渋の選択の数々をあんた想像したことがあるかい。
なつかしい思い出の場所が、汚れてすさんで争いの種になり、美しい記憶もずたぼろになって、もういっそ全部消えてしまってせいせいするという気分になるまでの、疲れと怒りがわかるかい。

せめて、その家や庭の維持に金とか時間とか出したことがあるのかい。庭の草取りとか買い物の手伝いとか、愚痴の聞き役とか相談役とか話し相手とかやったことがあるのかい。
老人や一人暮らしがゆったり生きていけるような、古い家や庭がいつまでも楽に維持して美しい姿を見せてくれるような、それを保証するような、交通網とか税金制度とか憲法とか福祉とか、そういう社会を築いて守っていくことに関心を持ったり署名のひとつもしたことがあるのかい。せめて選挙には行って、そういう世の中作ってくれそうな候補に投票したのかい。

そういうことを何もしないでいて、ただで楽しんでいた美しい場所が消えたからって、がたがた文句言ったり感傷にふけったりするんじゃねえよ、たとえ、心の中だけでも、みっともないからやめとけよ。
…と、そこまで荒ぶってしまいそうになるのだよ。そういう気持ちを持たないで、にっこり笑って、惜しんでいただいてありがとう、消えた家も庭も人間も喜ぶでしょうと言ったり考えたりできる人の心って、ほんとに優しく美しい。私にゃ絶対まねできない。

で、そういうこと考えると、家の向かいや背後の崖の上の美しい森や木々たちが消えてもなくなっても、私に嘆く権利や惜しむ権利はないんだろうなと、そこはかとなく、あきらめはつく。
ほんとにでもねえ、老後の貯え犠牲にしても、その木々のある部分の土地だけは買おうかしらと、まず出来もしない妄想をちらっと抱いたりはしたのだけど。
そんな財力も気力も体力も、自分にはもうないと、あきらめたけどね。

せめて今は、その風景を楽しもう。目に焼きつけて、忘れないでおこう。

写真は何年か前、庭に菜の花が栄えまくっていたのを面白がってとった写真。向かいの森の下の方だけがちょっと映っています。

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カツジ猫