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え?は?

覚えてる人いるかなあ? 昔2ちゃんねるとかで、よく使われていた決まり文句の言い回しみたいなのがあって、私は使ったことないから、うろ覚えなんだけど、驚いたニュースを表現するのに、「あっ、ありえないものを見たぜ…おれが何を言いたいかわからないだろうけど…たしかに見たんだぜ」みたいな(多分ものすごくちがうけど、何かそういう感じの文章)のがあった。

今ネットで検索したら、恐るべし、ちゃんと見つかった。おおむねこういうもののようで、いろんなバージョンがあったようだから、ちゃんと覚えてないわけである。

くり返すが私は使ったことがない。別にいやでも嫌いでもなかったけど、特に必要を感じなかった。だけど今、妙に猛烈にその表現を使ってみたくなっている。というか、そんな表現でなければ言い表せないほど強烈な違和感と当惑がある。

くだらんニュースにうんざりして数年前にテレビを見ないことにしたという、元同僚も知っていたから、かなり広まってる話なのだろうが、かいつまむとこうだ。スピードスケートの高木美帆選手に国民栄誉賞が贈られた。その賞品は受賞者が希望するものを与えることになっていて、料理好きの高木氏は、上等の包丁を希望したら、極上の職人の技術を駆使した名品の包丁のセットが贈られた。そうしたら、そのすべてに一本ずつ、高市首相の名前が刻印してあったとさ。

私も毎回こうやって予想の斜め上を行くような、想像もつかないしょうもないことをしてのける首相と側近には、ネタの提供者として感謝した方がいいのかもしれないが、あいにく書きたいことが他にも山ほどあるわけで(ニャーニャーと空耳で何か聞こえた気がしたよ今)、ありがたくも何ともない上に、あまりにもとんでもないから、ついいろいろと突っ込みたくなって無視できないのが本当に参る。

そりゃ、あの熱波と渇水の中、苦しんでいる被災地に出かけて、ひどい状況の避難所は見ず、3分かそこらのぞいただけで、選びあげた五人の被災者と密室で会談し、その解答にも原稿の下書きを使ったとかで、部屋の外で声をかけて訴えようとした被災者にはコワモテの係員が制止して近づかせず、行きの飛行機の窓から眼下を見下ろして手を合わせただけで(まだ生きてる人も多いのに何の冗談だろ)、そういうのを全部官邸の映像にまとめて公表し、どう見ても首相のプロモーションビデオで、前代未聞の音楽までつけたというのだから、首相一人の責任というより、そのとりまきだか自民党だか維新までも広げていいのかわかんないけど、とにかくもう、発想がずれてる勘違いがすぎる程度が底抜けだ。今どき皇室でもAKBでもスノーマンでも、そんなずっこけたセンスゼロというかマイナスの、視察宣伝はしませんよ。首相の宣伝したいんだったら、せめてもう少しうまくやったらどうなんだ。

とにかく、これだけあらゆる点でこまめに隙なく、無神経さとみっともなさと恥知らずさをアピールしまくる仕事って、なかなかできるものじゃないぞ。彼らの黒幕の麻生太郎氏は、ナチスの手口がお手本らしいが、あそこの宣伝相ゲッペルス(私は昔、ちょっとだけ彼のファンだったりした)なら賭けてもいいが、もうちょっとはましな仕事をするんじゃないのか。

現代社会の最先端のモラルからも、日本(多分世界も)の古来からの伝統からも、まったく逸脱した、こういう政府の手法って、もちろん根底には国民などどうでもよくて、自分たちだけが快適でちやほやされてカッコよくあれば幸福という基本的姿勢がしみこんでる土台があるからだろうが、それだけでは言い訳のつかない、知恵のなさ、技量のなさ、センスの悪さが致命的だ。別にこういう人たちが生きていてもかまわないとは思うけれど、人の上やら人の前やらに出て来る仕事をするものではない。まさにもう、「そこをどけ」である。

そもそもそういう人たちだとはわかっているから、今さら何をしようが言おうが驚かないはずなのだが、それでも私の貧弱な予想をはるかに超えた救いようのないことを次々やってくれるのが、こちらの想像力の限界を突破されたようで、いまいましい。

まさに「信じられないものを見たぜ…何を言っているかわからないかもしれないが、本当なんだぜ…」の世界だが、もう、今回の包丁の件で言うと、そもそも職人の第一級の作品に、その制作者の名前以外の名前を刻んで残そうと思いつくところからして狂ってる。あんたいつから包丁職人になったんだよと言いたくなる。
 そもそも人に差し上げる高級品に、贈り主の名前を刻むかね。いや今回の場合贈り主と言っていいのかどうかも微妙だが。たとえば孫や親戚や知人に晴れ着や高級品をプレゼントする時、自分の名前を織り込んだり彫り込んだりして渡すかね。まあもしかしたらいるかもしれんが、相当珍しい感覚だと思うぞ。

好きな料理をするたびに、親しくもない制作者でもない偉い人の名前が見える包丁を使うなんて、何か楽しいものだろうか。私だったら、別に首相の名でなくても、たとえ「推し」とかの名前でも、制作者をさしおいて刻まれた、その包丁とは縁もゆかりもない人の名前を見せつけられるたびに、料理の味まで格段にまずくなりそうな気がする。もちろん高木美帆さんはそんなことはなさるまいが、こんなものもらったら私が最初にすることはどんなに金をかけても、この名前を削り取ることだろう。

こんなにとんちんかんな場所に自分の名前を書きまくるというのは、逆に言えば高市首相は自分の名前も自分自身も、そんなに大事にしていない気がする。いやがられるかもしれない、嫌われるかもしれない場所に安上がりに使うのは、それだけ名前も自分も大切にしていないとしか思えない。あー、国旗損壊罪もこれと同じ発想よね。嫌われるかもしれない、うとまれるかも憎まれるかもしれない場所に引きずり出して、いやがる人や大切にしたくない人に押しつけるほど、私は国旗をいいかげんなものにしたくない。

そんなに首相が自分の名前を刻みたけりゃ、熊本でも能登でも、被災地に山ほど携帯トイレを送って、それに全部名前を入れりゃいい。そういうことはしないんだろ思いつきもしないんだろ。高級包丁と携帯トイレはどっちも大切なものだが、首相はそこにも格差をつけてる。こっちも言うけど、お里が知れる。

ついでにもう、携帯トイレに入れる名前も、できたら便器の底に書いて、しっかり汚物を受け止めろとまで書きたくなったが、何だかそれもいやだなあ。
 若い頃、最低の不愉快な相手から手紙をもらって、ゴミ箱に捨てるとき、私は昔のような汲み取り式の便所がないのを、ひどく残念に思った。そこに捨てるのにふさわしい手紙だと思ったからだ。けれどすぐまた思い直した。こんな最低のやつの手紙を捨てたら私の汲み取り式の便所が汚れると思ったのだ。そのくらい私の嫌悪感や拒否感は強い。これで死ぬまで身を滅ぼさないようにせいぜい注意しないといけない。まあもうあと何十年ってことはないだろうから、さすがに最近はちょっとほっとしている(笑)。

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カツジ猫