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お魚売り場にゃ近寄らない。

◇誰も気にしちゃいないと思いますが、あえて朗報!と申しますと、ついにカツジ猫をおさしみ中毒から卒業させることができたようです。
小さい小さいパック入りの「おやつ」と「スープ」が気に入ってくれたようで、猫飼い人なら皆さんおわかりかもしれないけど、白いかわいい猫が片手をあげてる写真がついてるやつです。「かつお」と「まぐろ」と「ささみ」があって、どれもえり好みせず、食べています。
最初は食べ方がわからなかったらしく、なめるだけで口に入れなかったのですが、私が指先でかき氷のように盛り上げてやると、ちゃんと食べるようになりました。今はお皿をなめるようにきれいにしています。

冷静に考えたら、これもけっこう高いんですけどね。でもおさしみよりゃずっとましだわ。
気のせいか、猫としてまともなものを食べているからか、ただ単に秋が近いからか、身体つきもどことなくしっかりして来たような感じで、いろいろとありがたいことです。
つめとぎも、今あるのを、かなりきげんよく、ばりばりといでいますので、もうちょっと、これで我慢させようかなと思ったりしています。

「おさしみは、お誕生日にでもあげる特別メニューですね」と言って下さる方もいますが、いやいや、うっかりさしみの味を思い出させて、「おやつ」を食べなくなっては大変だから、もう金輪際おさしみは買いません。
どうしても私が食べたいときには、上の家で、一人でこっそり食べまーす♪

◇レマルクの小説の最後まで残っていた「その後に来るもの」をとうとう読み上げました。いやあ、彼の作品を読むたびに、「これが最高!」と思うんですが、今度もまたそう思いました。今こそこれを復刻再刊すべきだよなあ。社民党でも共産党でも公明党でも九条の会でも、いやしくも平和を守り戦争反対を掲げる団体なら、どこでも、もう、ぜひ出版してほしい。

私はときどき、「人間が文明化すればするほど、裏山でマンモス殺して昼ごはんにしてた時代とはちがって、戦争で人を殺すストレスは大きくなっていくしかない。現代人はもうそれに耐えられなくなって来ているんだから、戦争なんて事実上不可能になってきてるんだ」とか言ってましたが、まだまだそのことを充分に知っていたわけではないと、これを読んでわかりました。
湾岸戦争に派遣された自衛隊員が、戦闘行為に参加しなくても帰国後自殺する人が異常に多いことや、アメリカで帰還兵の問題が大きいことも知っていましたが、それも上に書いたような、現代人がデリケートになってることとの延長線上で理解していたふしがある。

「その後に来るもの」は作者がよく題材にする亡命者はまったく登場せず、「西部戦線異状なし」のパウル・ボイメルの戦友たちが故郷に帰還してからの話です。
私は戦争文学や戦争映画はわりと読んだり見たりしている方だと思うんですが、戦場で人を殺した体験が、これほど人を苦しめむしばみ、日常の生活への復帰を困難にし、孤独と絶望に追い込むものだなんて、きちんと描いた文学は他に見たことがありません。

レマルクって、大衆文学っぽく読者サービス満点で楽しませるんですが、その一方で、あるいはそれだからこそなのかな、ものすごく理論的に論文みたいに言いたいことの筋道たてて、わかりやすく無駄なく説明してくれるんですよね。この長編の中には、学生やエリートや庶民やさまざまの階層の帰還兵たちが、それぞれに抱える問題や共通に持つ問題、妻がいる者、独身者、戦地で性病にかかった者、ありとあらゆる状況の中で、彼らがどうやって追い込まれ、苦しんで行くかが、本当に鮮やかに、切々と、しかも面白く語られています。
彼らは皆、第一次大戦の帰還兵ですよ。つまり私が「文明化した現代人のデリケートな悩み」とか、寝とぼけたことを言うてたにもかかわらず、もうそんな大昔から、人間、特に若者にとって、「人を殺す訓練」を受け、それを実行させられることが、どれだけ性格を破壊され精神を崩壊させるかは、こんなにはっきりしてたんですよね。

同僚の先生から聞いた話では、最近ではイラクに行った女性兵士が自分にも子どもがいるのに、人を殺さねばならない苦しみで深刻に精神を病むこともあるそうなだけど、ごく最近までは、こんな戦場の苦しみを男性だけが押しつけられて来たわけですよね。そのことでも、私は自分が許せません。私が男性なら、そりゃ女性を憎悪し蔑視し軽蔑し一段低く見るだろうと思います。心の奥底のどこかで、いつも。

◇あ、それと関係するんですが、終戦記念日前後で腹の立つことは多かったんですが、さしあたり言っておくと、最近ローマ法王が韓国で従軍慰安婦を慰めたという記事、毎日新聞までが、韓国政府の政治的思惑という観点でしか書いていなかったのには、久々に怒りで胸が煮えたぎりました。そういうこと(政治的思惑)があったとしても、そういうこととは別に、ものを見る見方というもんがあるんじゃないんですか、人間として。世も末よね。
時間がないから飛躍しますが、こういう文化しかない国じゃ、レイプの被害者も犯罪の被害者も名乗り出たり告発したりする気には絶対になれないだろうし、その結果、女性の登用もできるわけないし、少子化進んで犯罪跋扈する国になるしかないんだろうと、別に水晶玉見ないでも、この国の未来はありありと見えてしまったわ。

「その後に来るもの」については、しつっこくまた書きます。

◇今朝は、母の老人ホームで、ユリックスという文化施設からの出前演奏会という催しがあって、ピアノとチェロとヴァイオリンの三重奏をしてくれるというので、私も聞きに行きました。久しぶりの生演奏は快かったです。母は眠かったらしく「音楽聞くより寝てた方がいい」とかぶつくさ言ってましたが、演奏会が終わるころには小さく拍手もしていて、満足なようでした。皆が拍手を盛んにして「準備してなかったんですが」と困りながら、演奏者の方々はアンコールで一曲弾いて下さいました。

◇え、もう二時!? まだお知らせすることとかもあったんですが、急いでごはんを食べて来ます。また夜にでも来ます。
とりあえずですが、明日24日の13時から14時半に、宗像市の河東コミュニティセンターで「大飯原発差止め判決の学習会」があります。皆さん、ぜひぜひ、お越し下さい! 弁護士の小出真実先生がお話をして下さいます。

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カツジ猫