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かゆいところに手が届く

すごい雨。昼というのにまっ暗なまま、もう夕方になりました。
 買い物に行くのは、やめた方がいいのかなあ。食べ物は何とかあるし。

昨日ひとつ書き忘れていました。しょうもないことですけど。
 広島の原爆ドームの対のように長崎は平和祈念像があり、多分あれは私が子どものころにできたんだったと思います。私はそんなにどうという印象もなかったけど、母があの像を気に入っていたのを今になって思い出します。「堂々としていて、力強くて、いいじゃないの」とか言っていたような。母は、猫から何からけっこうイケメン好きでしたから、それで気に入ったのかもしれませんけど(笑)。かなりもう古くなって貫禄のついたあの像を昨日いろんなニュースでながめて、あらためて母の顔も思い出しています。

先日紹介したTNCの番組は、実にものすごく充実していて、ほんの数秒の間のまばたきするほどの映像に、二時間ぐらいの特別番組が作れそうな、貴重な情報がつめこまれていた。あと一週間ほど見られるようだから、ぜひ一人でも多くの人に見てほしいが、どうしてもお知らせしておきたい映像の中には、次のようなものがあった。

戦争の後遺症で精神を病んだ兵士たちの病院の記録だ。全部で五分もあったろうかと思うほど短いものだが、そこで治療を受けた兵士たちのカルテのファイルが、建物ひとつをいっぱいにするほどの棚にぎっしり、つめこまれていた。その中の、たった一冊のたった一人の数枚の治療記録。手書きで記入された症状や原因の簡単な記録。彼は徴兵される前は郵便配達をしていたとあった。不眠や幻聴やその他の症状で生活ができなくなり、入院した。その原因となったのは、戦地で、中国の一般人の村の掃討を命じられ、そこの家の家族を全員殺したこと。

特に幼児を殺したこと。自分にも同じぐらいの子どもがいたから、つらくて、それが忘れられなくて、精神を病んだこと。明確な、冷静な記録として、その事実が残されていた。

大陸での日本軍の殺人はなかった、日本軍の残虐行為はデマだ、日本人がそんなことをするはずはない。そんな言葉の数々が、国と天皇と上官の命令のもと、実際にそのような行為をせざるを得なかった、日本人の兵士たちを、どれだけ追い詰め孤独にし居場所をなくさせ苦しめたか。自分の犯した罪とただ一人で向き合わなくてはならなかった、普通の市民たちの悲劇。

自虐史観というけれど、このような行為を実際にして、その記憶にあえぎ悩む人たちに、向き合ってよりそって、ともに未来を見出す心を持たないで、何が愛国心だ、何が日本人ファーストだ。怒りで胸が熱くなる。

あの建物いっぱいにつまっていた、カルテのファイル。その中のただ一人の、ただ数枚の記録から、証明されすぎるほどに明らかな、日本軍と戦争の実体。それを無視し、あいまいにし、なかったことにしようとする、すべての動きに、あの数秒の映像は、明確な反証をつきつける。かゆいところに手が届くような、細かく厳しい論理と証明が、あの番組に限らず、今年の原爆忌前後の番組にはみなぎっていて、そのすべてに私は歴史が無視され、言いたいことを言えない報道関係者の歯ぎしりと絶叫がこもっているようで、鬼気迫る思いさえした。

時間がなくても疲れていても、絶対に、この番組を見てほしい。考えてほしい、知ってほしい、それを他者に語ってほしい。その積み重ねが、デマや無知や無責任や愚鈍や怠惰や残酷さを食い止める、たった一つの壁で砦だ。あきらめたらおしまいだ。一歩引いたらおしまいだ。まだ自分が動くべきときではないと思ったらおしまいだ。他のことをしていても、人生を楽しんでいても、そのくらいの余地を残していなくてどうする。燃えないごみや燃えるごみを出すぐらいの時間があるなら、このくらいのくずやがれきを処理する力ぐらいなくてどうする。

あ、こういう番組もありました。

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カツジ猫