きっと毎年思い出す
私も適宜、認知症にはなってきているのだろうけど、それでも、まだらにしつこく残ってしまう記憶に、自分でもうんざりすることがある。
この桜の美しい季節になると、東北の震災と原発事故を思い出す。それと言うのが、あの災害の少し前、九州新幹線の開通間近ということでにぎわう博多駅に行ったら、何とまあ生きた桜の大木が根本から切られて、一階のフロアに飾られていた。
無惨で、悲惨で、見るに耐えなかった。私はそのとき、真剣に怒り、そして怯えた。こんなバカなディスプレイを考えた関係者を心から呪った。そもそも、自然の中でだったら華やかだったはずのその桜は、きらびやかな駅の構内のフロアではまったく目立たず、場違いで、みすぼらしく醜かった。どうでもこんなに、とんちんかんな見当違いのことをするなら、せめて最期ぐらい華やかな舞台を用意してやれよと思いながら、悲しくその場を離れた私は、それ以後、この季節になると、博多駅にも立ち寄れない。そこには墓場の臭いしかしない。
こんなことをして、無事ですむはずがない、と思った。きっと何か恐ろしいことが起こると思った。あの桜の仲間たちが、決して人間を、新幹線を、このままには許さないと予感した。そのすぐ後に、あの大震災が起こり、多くの命が奪われた。そして、九州新幹線の開通を祝う行事はすべて中止され、沿線の人々が喜ぶ映像も流す予定だったのが中止された。災害の悲惨さに苦しい思いをしながらも、私はどこかで、あの桜のことを思わずにはいられなかった。被害が九州でなかったことに安堵するより、東北の人たちにひたすら申し訳なかった。
何もかもが幻想で、妄想で、思いすごしかもしれないことはわかっている。それでも桜の季節になるたび、私の心には、生きながらさらされていたような、あの桜の木の残像が消えない。きっと一生、消えないだろう。
シェイクスピアの古いDVDは、今「リア王」を見ているところ。リアが少し獰猛すぎるみたいで笑うが、三人娘の長女ゴネリルと次女リーガンが、特に前者がなかなかの美人だ。ヒロインの末娘コーディリアは、むしろ意志の強そうな、きつめの顔をしている。
窓辺のシクラメンはこんなに花が増えました。手前の枯れた葉っぱをちぎらなければならないのですが、実は冬の間、この鉢がまったく枯れ果てて何も見えなかったとき、この葉っぱが一枚だけみずみずしい緑で、伸びていたのですよね。それを思い出すと何だかあっさりちぎるのが、しのびない(笑)。