1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. こういうことかい(1)

こういうことかい(1)

何かもう、まったく無責任な大ざっぱな感覚だが、それでも一応まとめとかないと、今後の戦い方が定まらない。

いや、戦い方っていうのはさ、今の私の体調じゃ、街頭宣伝やビラ配りさえも時間と体力を考えれば、できる状況じゃない。このブログや、知り合いとのおしゃべりだって、数だけ言うなら大河の一滴どころにもならない。

ただ、自分の考え方、日頃の生き方をまちがわないためにも、一応の基準は決めとかなきゃならない。誤りがあれば(当然あるだろ)、後で訂正すればよい。今の日本じゃ、どうやって保険証の廃止を決めたかという、国家と国民生活をゆるがす大問題でも「記録が残ってない」という狂気の崩壊状況だから、そんな風潮に染まって、自分の生き方考え方までぐしゃぐしゃにしてはいけない。他人にそうしろと言うのではない。私には必要なのだ。だって多分、これが私のかなり大事な武器だから。

「虎に翼」への批判というか、嫌いな理由の中に「難しすぎる」「詰め込みすぎる」「いろんな問題を盛り込みすぎる」みたいなものが多かった。それはそれでかまわないが、そここそが私の一番はまった理由だった。政治や社会や歴史のうねりや、料理や掃除やミーハー趣味や、猫や人間関係や、また研究や創作を全部ごった煮にして、考え、愛し、生きることが。

それは子どものころからそうだったし、たとえば大学生になって自治会活動をしていて、朝、早起きしてキャンパスでベトナム戦争反対のビラを配らなきゃならないとき、眠くて起きたくなかったら、もし今朝、自分が起きて行かなかったら、その分戦争の終結が遅れ、ベトナムの若者や娘や子どもが残酷に殺され、もちろんアメリカ兵も死ぬ数が増えるだろうと考えた。それでも眠くて行かない時は、このせいで死ぬだろう人たちや焼かれる大地の責任はとる、それでもいいから、もう一眠りと思って眠った(笑)。そういう選択や迷いを毎日いつもやっていた。

私と同じ、そんな傾向を持つ人は、今の若者の中にも、暴走族やギャルの中にも絶対にいるはずだ。一方で、すごくリベラルな立場で、日夜平和運動や選挙活動に明け暮れている人の中にも、私のこういう生き方や感覚を聞いて、目を白黒させて、わからんついて行けんと感じる人もいるはずだ。家族や周囲や友人と同じ(と思う)価値観に身をまかせ、日常と社会情勢をすっかり切り離して生きる人たちは、思いがけないほどどこにでもいる。山ほど本を読んでいても。常に政治を語っていても。皆がそうで、誰もがそうで、ということを、ものごとを決めるよりどころにし、それを探して見つけることが心の支えになる人たちは。

それはそれでいい。というか、どうでもいい。だが、私には「私が今日を生きることで、世界と未来と人類には何が起こるか」を知ることは、さしあたり必要なことだ。

というわけで、自民党総裁選と、今後の方向について考えるが、疲れちゃったから中断して、ラジオ体操をして、ごはんを食べる(ぶり大根も、ぶあついトンテキ三枚も昨日の内にちゃんと作ってあるぞう)。続きはまた(笑)。

Twitter Facebook
カツジ猫