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こけさんご。

◇よく行く花屋さんの店頭で、こけさんごの鉢があって、あまりにかわいかったので、買ってしまいました。
半日陰で水を切らすなとのことなので、洗面所の窓枠において、霧吹きで水をかけていたら、元気に赤い実がぴかぴかしています。
そのお店に行くたびに、残っている鉢と思わず比べてしまって、ふっふっ、うちのの方が色も形もきれいに育ってるじゃんと、ひそかにあさましくライバル意識を満足させていたのですが、さっき、ちょっと、ネットで検索してみたら、ものすごく気難しい、扱いにくい、すぐ枯れる植物らしいですね。どうしよう。私、夏には数日留守にすることが多いのに。

車に乗せて、連れて歩いてたら、さすがにバカですよねえ、誰が見ても。

http://www.oz-plants.jp/FBData/Nertera.html

明日にでも、↑ここに書いてあるような鉢を買ってくるべきでしょうか。それとも短い間のかわいさを楽しんで、後は運を天にまかせるか。

◇「刑事コロンボ」のDVDを見ていると、いろんなことをついでに思い出します。
ゆうべ、「ホリスター将軍のコレクション」という回で、コロンボが踏み込んだとき、将軍が部下に荷物を運び出させようとしていて、中を見たいと言うコロンボに「見給え、もう釘を打ってしまっておる」と答える場面で、昔いっしょに見ていた母が、ここで、「あー」と、いかにもこいつ悪いやっちゃなーという嘆声を上げたのが、耳によみがえりました。

母は、大正ロマンにリベラリズムに、キリスト教に武士道がごちゃまぜになったような人で、学者と芸術家は無条件に尊敬し、金持ちと政治家と軍人は無条件に軽蔑する人でした。むろん軽蔑と言ったって、目の前に実際にそういう人がいたら失礼な態度はとりませんでしたけれど、それはたとえばホームレスの人や保釈中の犯罪者にでも失礼な態度はとらないというのと同じでした。
(そのわりに、一応学者みたいなのになった娘の私のことは全然尊敬しなかったですけど。)
このドラマの将軍も、だから、はじめから、ろくなやっちゃないという目で見ていたようで、だからここでは、やっぱりなーという気分で「あー」と言ったのだと思います。
そう言えば、「何で誰も、コロンボを殺そうとはしないのかねえ」とも、ふしぎがっていましたっけ。

あのころは、さまざまな市民運動や平和運動に飛び回っていた母も、今は私が「首相が憲法を骨抜きにしようとしててさ」と言っても、「ふうん」と言うだけで、これという反応はありません。もうそういうことは、あんたたちにまかせたという感じで、私は桜の花吹雪の中に消えていった、アニメ「カンフー・パンダ」の亀仙人をふと思い出したりもします(笑)。

もっとも、職員のおじさんによると、食事の帰りにエレベーターの中で二人だけになると、母はおじさんといっしょにいろんな歌をあいかわらず合唱しているそうで、先日は「ズンドコ節を歌っておられましたよ」と言うので私はのけぞりました。
「ラジオ歌謡は好きでよく知ってたけど、ズンドコ節なんて歌うの聞いたこともない」というと、「でも、汽車の窓から♪とか全部覚えて歌っておられましたよ」とのことで、ひょっとして埋もれた記憶がどんどんよみがえってきてるのかもしれない。恐いなあ。

恐いと言えば、昨日今日と洋服の整理にあけくれていたのですが、そのついでに片づけた棚の中から、日記代わりの古いノートが出てきました。ぱらぱらめくると、予定と計画にあけくれるのが趣味の私が、今後のお金と時間の使い道をあれこれ考えているメモが残っていて、「母はあと5年、猫たちはあと10年生きるとして」と予測しているのですが、日付を見たら2010年でした。母があと1年で死ぬなんて今の様子じゃとても思えないし、私の予測も甘かったなあ(笑)。
猫もたしか、それを書いた後にカツジ猫が来てるわけで、彼はあと10年てことはないだろうし、ううむもう、どうなることやら。

◇そんなのはまだいいんですが、9月〆切とたかをくくっていた論文が、今日確認したら7月〆切で、青くなっています。雑誌社から与えられたテーマは決まっていて、江戸時代の写本が版本と比べてどういう意味を持つかということです。三つほど具体的な題材の候補はあるのですが、まだ全然しぼりきれていない。きゃー、どうしよう。とにかく、自分の古い論文を読み返して、資料を整理しようとしているところです。でも、草刈りと服の整理は明日までには終わりたいし、まったくどうしたらいいものか。と思いながら現実逃避でカツジ猫にブラシをかけては、かみつかれています。

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カツジ猫