1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. この教訓を

この教訓を

◎がまんできないほどではないが、寒い。
まだ年の暮れまでには間があるが、数日前に自宅で飢え死にしかけた体験があまり強烈だったので、転んでもただでは起きるものかと、二度とこういうことのないよう、考えておこうと思っている。

この夏も、いろいろ私はぶちきれたが、要するにそれは私が中途半端に良心的で、耐えられなくなるまで、何とか相手の身になって要望に応えようとして、自分の都合をあとまわしにするからだ。
その結果、無理が重なり、堪忍袋の緒が切れて、二度とその相手との関係を持ちたくないというところにまで至るから、相手にしてみれば迷惑な話かもしれない。

これを防ぐためには、初めに何らかの事情で、こちらの予定を変更しなくてはならなくなったとき、それがどんなくだらない予定でも、決して変更せず、相手の申し出を断るということを徹底してしまうことしかない。
そしてまた、少しでも気のすすまないことは、決して無理をしないで、即座に断固、断ることだ。

私は忙しい忙しいと言っているし、事実忙しいのだが、それは長期にわたって計画している仕事だったり、常識で考えられない大事業(笑)だったりするから、説明しにくいし、見えにくい。
だから、他人はわかってくれない。もちろん、人にもよるのだが。

金に困っている、時間がない、寝る間もない、とか、かなり細かく具体的にいろいろ恥をしのんでさらけ出して話しても、絶対にそれを認めない人というのは、わりと多い。
そういう人は、いくら話しても、自分の私に対して持っているイメージを変えない。私はのんきで、優雅で、余裕があると、なぜかかたくなに思いこんでいる。「忙しいのですね」と口では言うのだが、その実態を決して理解していないから、平気で私の時間や予定を変更せざるを得ないことを頼んだり言ったりして来る。それも時には、いや大抵の場合、私を楽しませ喜ばせるつもりで。

ときどき、私が「とにかくもう忙しい」と言うと、「今どことどこにお勤めなのですか」「お母さまはどうしておられるのですか」などと、私の生活をチェックして、それならそんなに忙しいはずはないのだがという顔をする人もいて、どっと疲れる。つくづく思うが、私のやっていること、めざしていることは、多分普通の常識では理解できない。私はいい意味でも悪い意味でも普通の人間ではないのだが、長年のくせで、わりと普通に見えないこともないように人前ではふるまうから、誰もが自分とそうちがわないと私のことを考えて、自分を基準に私の日常を判断しているふしがある。私もそうさせてきたふしがある。(笑)

だが、それはもう、やめなくてはならない。来年は特に、大きな仕事もひかえている。思いきりわがままになり、他人に合せないようにして生きないと、きっと、やっていられない。
いい人になるのをやめろ、とよく言うが、私も自分の力の限界を確認して、人に情けをかけるのをやめることだ。どんな、ささいなことででも。

・・・と、こんなことはわかっているし、いつも自分に言い聞かせてはいるのだが、それでもつけこまれてしまうのだなあ。
と言うより、たいがいの人は、ここまで私が言うと遠慮して近づかないのだが、それでも近づいて自分の要求を通そうという人は、もう、ものすごく強硬で、カンが悪いとかそういう問題ではない。私はまったく率直に露骨に、「忙しい、あなたの相手はしていられない。というか、私の人生にあなたがかかわる余地はまったくない。あなたとの会話、会食、交流、その他は私にとって何の慰めにも息抜きにもならず、あなたは何をしても私を楽しませることはできない。自分を快くさせる方法は私が一番よく知っているから、私がそれをする時間を奪わないでほしい」と、比喩も何も使わず、はっきりと告げているのに、それでも聞く耳持たずに自分の予定を押しつけてくる。はっきり言って、もう本当に恐ろしいほどだ。

いやまあ、そんな愚痴を言うより実行だ。さしあたり今年は年賀状を書くのをやめようかな。(笑)

◎じゅうばこさん

カツジ猫の例の写真、本当にハガキにするの?(笑)

Twitter Facebook
カツジ猫