ささやかに、根を張る。
◇昨日のお昼、宗像の交差点で、生活者ネットの市議候補者の方と数人の支援者が、戦争法反対などの街頭宣伝をされていました。
枯れ木も山の賑わいで、いっしょに立って来ました。
そばに、少し離れて、多分社民党支持の、いつも街宣をするオール宗像のメンバーの男性がつつましく立っていて、私が声をかけると近寄って見えて「男性もいていいんですかね」と聞いて、立っていた支持者の女性たちから「どうぞどうぞ!」と歓迎されていました。
「私は共産党の後援会に入ってるんですけど、もう、戦争法反対の立場の候補を見かけたら、全部応援するつもりです」と支持者の皆さんにあいさつして、候補者の方もはげまして帰って来ました。
その後、よく行くお店に行って、一昨日の熊野先生のお話を、横流しで、しゃべりまくって来ました。「市議選があってるのもわからないですよねー」「選挙カーがうるさいとか言われて、選挙運動を制限したのかしらないけど、そんなの口実ですよね」などと、しゃべりあいました。
どんなにささやかでも、こうやって、つながりながら、「わいわい騒ぐ」ことにしたいと思います。
◇台風はどこぞへ行ったようですが、朝までものすごい風が吹いていました。まだ吹いています。曇っているけど洗濯物がよく乾くこったろう。
せっかく咲いた庭のヒガンバナが心配だったのですが、あんな水っぽい茎なのに、倒れもせずにしゃんと立っていました。一二本倒れたのは、切って花瓶にさすことにします。
◇今朝は仏間でお線香が燃えつきるまでのちょっとの時間に、「戦争と文学」シリーズの中の日比野史朗の「呉松クリーク」を読んでいました。必ずしもというか全然反戦や厭戦の立場から書かれたものじゃないのが、逆にリアルです。スーダンに行く自衛隊員の人たちも、これほどまではないにしろ、こんな気分で過ごすのだろうかと思いました。