1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. さそりのソックス。

さそりのソックス。

◇立派なレインシューズは買ってあるのですが、もっと気軽にはける短いものがないかと思っていたら、すこし前に町のデパートで思いきり安く、明るいブラウンのブーツがありました。
ほいほい買って、お天気の日にはいても、それほど違和感ないし重宝してたんですが、使ってみて気がついたのはソックスの上の部分がブーツの上の口から、ちょっとのぞくんですよね。

まあ別にいいのですが、せっかくチラ見させるのなら、派手なワンポイントがある方がいいかと、何となく探していると、これまた先日、別のデパートで、オレンジの地に紺色の、なかなかどぎついサソリのポイントがついているソックスを見つけました。

その日は急いでいたので、そのまま通り過ぎたのですが、やっぱりほしくなり、街に出るのも金や時間がかかるので電話で「まだありますか」と売り場に聞いてみた。
したらば「お待ちくださいませ」と待たされた後、色違いもあることが判明。しょうがないから二つ買いました。ついでに船の絵がポイントになってたのもあったと思って聞いてみたら、それも色違いで二種類があるとのこと。結局四足買うことになり、しかもいつも買う3足1000円のとはちがって、ほぼその倍はする値段。

得したんだか損したんだかわかりませんが、さすがに履き心地はいいし、思った通り、ブーツの上からちらとのぞくサソリの姿は悪くない。当分この組み合わせで足元のファッションは困らないから、まあいいや。

◇いただいた野菜は、せっせと料理しておかげで、ほぼ完食。あと大きなカボチャが残ってるから、せいぜいこれをスープや煮物にしなければ。
日本茶は冷茶にしてずいぶん片づけているが、こうなると今度は、叔母が遺したワインの多分もう傷んでしまったのを何とか使ってしまいたい。上等のもあるのはわかっているのだが、もう料理にするしかないだろうし、せめておいしく調理したい。

夏の終わりに向けて、そうめんもやっと食べ終えた。実は去年、昔にいただいた大箱のそうめんをようやく食べ上げて最後の一束になったとき、友人が何束かくれて、いや、うれしかったけど、達成感はいささかくじかれたのよねえ(笑)。
で、今年はその友人のくれた分を開けてみたら、少しカビも出ていたようだが、大したこともあるまいとゆでてみたらば、もうおいしくておいしくて、連日食べてしまった。うーん、お中元崩れで安く売られているのを見たらまたひと箱買ってしまいそうで、ひじょーにやばい。

それと、まだいいけど、そろそろかき氷がおしまいになるのではないかと思って、まだ近所のお店の全種類を征服してないし、博多駅の京都料理のお店が出してる、ほうじ茶のと抹茶のともまだ食べていないし、あせるよう。

◇レマルクの「その後に来るもの」は、あまり面白かったから、もう一度か二度読みなおそうと、まだベッドのそばのテーブルにおいてある。「西部戦線異状なし」の続編でもあるので、それともあわせて読んでみたい。でもさ、何しろ本がボロいので、ベッドで読んでて、眠りかけてうっかり取り落としたら、ページが破れてしまいそうだ。さりとて机で読もうとすれば、カツジ猫がやってきて、お尻をすりつけて、じゃまをする。

そう言えば、今日ベッドで昼寝してて、カツジ猫が上をまたいで行ったのを見ると、後脚の根元の長い毛に、うんちのかけらがくっついていた。トイレから紙をとってきて、拭いてやろうとしたら、妙にからみついていて、一向にとれない。しょうがないから、はさみで切ってやろうとしたら、目ざとく見つけて「うぎゃあ!」と騒いだ。「いいからいいから」と抱き上げて押さえつけると、「ふんぎゃあ、わおう」とものすごい声で抗議した。でも、その割りにはあまりひっかきも噛みもせず、すきを見てざくっと汚れた毛の一房を切り取ることに成功。やつは、ぷんぷん怒って逃げて行った。

行きつけのお店で、カツジが豊後水道のカワハギをもらうことになってる話をすると、「そんな上等のもの食べたら最後、『豊後水道のカワハギしか食べない』と言い出しますよ。このへんのスーパーのカワハギには目もくれなくなったらどうしますか」と脅かされた。
ないこっちゃないなあ。

◇そのお店で、かわいい薄紅色の小さいパイナップルが花のケースの中にあったので、二本買って帰って、先日買ってガラスの花瓶にさしていた、小ぶりの黄色のバラに加えたら、ちょっと異国風の面白い感じだ。適当につけたオイルの香りも、妙にムスク風で、悪くない。
そう言えば、今日はジムでパンの出張販売をやってて、野菜のキッシュを二個買って来たんだった。明日の朝食はあれだな。

◇辺野古の3000人規模の抗議集会のニュースを見ていると、沖縄の人たちの怒りがひしひしと伝わり、「標的の村」の映画を改めて思い出します。
あの映画の中で、米兵たちの少女レイプに対して燃え上がった沖縄の怒りを利用して、前々から意図していた辺野古への移転を計画した政府のやりくちの許せなさが指摘されていたことも。
佐賀をはじめ日本各地へのオスプレイの配備も、同じ図式ですね。人の痛みや怒りにつけこんで、自分たちの都合のいいことをする。政府や指導者はどうしてここまで破廉恥になれるのでしょう。
そんなこと言っていいのかどうかわかりませんが、この大きな怒りのうずを巻き起こした事件の被害者の少女の心の傷はまだ少しも癒えていないという話を耳にしました。
苦しめられた人々は、それを思い出し口にするのも耐えられない。そのことを少しでも想像できるなら、従軍慰安婦の方々の証言を嘘とか誇張とか軽々しくは言えないはずです。万一嘘でも誇張でも、それが口にされたことの重みを受け止め、大切に扱うべきです。

私は実は南京大虐殺にしても従軍慰安婦問題にしても、あまりある意味関心がなく、それはいったい何が問題とされ議論されているのか、マジでまったく理解できずにいたからです。
殺した人の数とか、拉致されたときの状況とかがあれこれ議論されていると聞いたときも、それがどういう意味なのか、結局ぴんと来ていませんでした。
本当に、それが問題にされていたとなぜかようやく、この数日で次第に納得できてきて、情けなさと怒りとバカバカしさで気が狂いそうになりました。
本当にそんなくだらないことを、まじめに議論していたのですか。いくら何でも、まさかと思っていましたよ。
赤ん坊と若い母親を殺害した犯人がドラえもんが助けてくれると思ったからとかいう理由で免罪されるという理屈の方が、まだしもましな気さえします。
私が若いころ、レイプされたら女性

Twitter Facebook
カツジ猫