さてと何から
◎じゅうばこさん
ううん、困ったねえ。実は毎日読むことにしている紀行の昨日の分をまだ読んでいないし、他に書くべき原稿もたまっているし。
裁判の方から行こうか。
午後から非常勤先の授業で、荷物が多かったので、それは地下鉄のロッカーに入れて、バスで裁判所の近くまで行ったら、元職場の同僚数人と会い、しゃべりながら裁判所に行ったら、昔の同僚たちも来ていて、何やら同窓会めいていました。
傍聴席では私は最前列に座ったのですが、それでも最初の裁判長のお言葉がしばらくまったく聞きとれず、これはどうしたことと変にあせりましたが、弁護士も誰もあわててもおらず、裁判長の声もまもなく聞こえるようになりました。
後の報告会の話では、多分、傍聴席が満席だったので裁判長も少し驚かれたのではないかとのことでしたが。100人入れる一番大きな法廷で、いっぱいになることはめったになく、前回いっぱいになったのは諫早の水門を開ける判決が出た時だそうです。それ以前でも、満席になったのは、弁護士さんも、あまり記憶がないとのことでした。
裁判そのものは第一回ですから、30分ぐらいで、てきぱきと進みました。訴えた原告代表の女性の先生(むなかた九条の会の、代表の一人でもあります)が、「まるで講義のよう」と弁護士さんが言われたように、よくとおる声で明晰明快に訴えの主旨を述べられました。その後、弁護士さんの方からも意見の陳述があって、終わりました。
これから、被告つまり大学側の反論を出てきて、それから意見のやりとりがあって、と先は長いことになりそうです。
傍聴席を埋めたのは、九州を中心としたさまざまな大学の先生たちです。直後の報告会では裁判にまではまだ至っていませんが、同じような状況が全国の大学で起こっていることがわかりました。
大変かんたんに言いますと、大学側がきちんとした交渉も説明もないまま、教職員の給料や退職金を切り下げていて、それは「法人化して公務員ではなくなったはずなのに、公務員の基準を適用する」ということがあります。どっちつかずの状況が、教職員に不利なように使われています。
しかし、今回の訴えで原告代表が意見陳述で訴えたのは、そのこと以上にこれまで大学が、非常にひどい条件におかれ、研究も教育も生活も老後の保障もままならぬほどの環境の中で、教職員がせいいっぱい努力してきたこと、もはやそれが限界に近づいていること、教育というものに対する政府の姿勢がまったく不充分であるということでした。
これについては、またおいおいに述べますが、大学がどのようにぎりぎりの状態かは、大学以外の方々にはまだはっきりと理解されていないと思います。訴えてこなかった私たちにも責任はありますが。
昔、名前を書けばかなりの人が知っているだろう、若手の優秀な研究者に私が大学の現状はひどすぎる(何十年も前のことなので、今に比べればまだかなりましでしたが)と話したら彼は、「でも大学以外に比べたら、まだまだ僕たちは恵まれているよ」と言いました。しゃかりきに働いて優れた業績もあげている彼がそう言うので、そんなものかなと私も考えたりしましたが、彼はそれからすぐ病死してしまいました。良心的すぎるのもほどほどにしとけ、と私は本当に腹が立ったものです。
おそらく、これから大学の中からこういう声はいくつも上がって来るでしょう。そのきっかけともなる最初の訴訟が、私の勤めていた大学ではじまったことを、心から私は誇りに思っています。原告となった先生方は、私が大学にいた間も、もう民主主義なんか信じるものかなるようになれ、と私がやけを起こしかけたとき、いつも教授会で発言し、大学行政に参加して、私の中で人間や大学への希望をつなぎなおしてくれた人たちでした。今回もまた彼らに私は救われたと思っています。
しかし、その一方で苦い思いもあります。被告側つまり大学執行部の先生方は学長はじめどなたも法廷には来ていませんでした。だから明確には見えなかったかもしれませんが、これは結局、政府や社会が大学に対して行ってきた予算の削減その他の処置で、ずたずたに傷ついたものどうしが、対立し攻撃し合う裁判です。訴えられている学長はじめ理事や副学長の先生方の皆と私は知り合いだし、学内のいろんな仕事も何度もいっしょにして来ました。
私は今の大学の現状に怒っているし、執行部の先生方にも怒っています。その上でなお、私たちをこのように対立させる政策や方針を出しつづけた政府や国や、それを支える多くの人(多分、これを読んでいるあなたもその一人)にも私は怒りを感じています。
そして、最終的には、その人たちに大学の現状を伝えることが十分にできなかった自分自身への怒り、これが一番大きいですけどね。