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しっかしまあ

昨日私がここに書き散らかしたことで、メールや電話をいただいたりしたが(特にそのことではなく、別件のついでというのもあるが)、まあそこで調子に乗ってはいかんのだけど、ちょこっとだけまた口をすべらしてしまうとさ、いったい全体、このブログも含めて、ネットで人が書くことなんて、事実や真実と思って読んでいる人なんかいるのかね。いるんだろうけど。ちょっと信じらんないよ。

私の高校時代の親友が、私にほれた理由の一つが「朝から晩まで皆の前で、何でもしゃべっているようで、よく聞いてると何もしゃべっていない」ということだったそうで、私はまた、それに気がつく、その相手にほれたのだけどさ。

文章でも顔色でも、しゃべりでもそうだが、にこにこ笑って浮かれているから楽しんでいるとか、冗談言ってるから元気なんだとか、悪口言ってるから嫌いなんだとか、思ったり信じたりするのなんてアホとちゃうか実際。そんな人がきっと、慰安婦や植民地の人は楽しそうにしてたから幸福なんだとか感謝してたんだとか、とぼけたことを抜かすんだろう。

少し前に私の本で読書会した人たちのことを私がボロカスに言ったのも、その人たちにはびっくりだったろうし、気の毒だったとも思うけど、そもそも私に限らず、他人と一晩語り明かしたり、ベッドで熱烈なセックスしたり、書いた本読んだりしたぐらいで、ちょっとでも何かを知ったとかわかったとか思えるってのが、人生も人間もなめとるって言うんだわさ。

ことばも身体も、記号にすぎない。言われたりされたりしたことを理解して、伝えられていることを受けとめればそれでいい。それを読んだり聞いたり触ったりしたからって、相手を理解したとか何かを共有できたと思うなんて、怠惰と鈍感もいいとこだ。

私は他人を理解するのなんて、あきらめている。書いたものや言ったことは、そのことを、その人と切り離して、楽しむし、何かを学んで役立てる。その相手を理解しようと思うなら、その人以上にならなくてはならない。ちゃかちゃか何かを読んだり聞いたり身体をこすり合わせたぐらいで、相手を理解できるなんて、どんな手抜きの生き方してんだ。

たとえばネットやブログの文章なんて、セキュリティの面からだけ言っても、私が自分の行動予定や体調や心理状態を、そのまま書くわけないじゃないか。楽しいこと書いてるから幸福なんだろうとか、怒り狂ってるからきげん悪いんだろうとか、落ちこんでるから不幸なんだろうとか、忙しいと言ってるから忙しいんだろうとか、暇だと書いてるから暇なんだろうとか、そんなことあるはずがなかろ。思ったことや感じたことを、そのまんま脳から口に直結させてどばどばだらだら垂れ流すようなこと、少なくとも全世界公開のネットじゃ私はしない。

ちゃんと計算と虚構があって、その中から真実を伝えようとするぐらいのこと、無意識に大抵の人がやってるもんだと思うけど。こうやって、私の言うことは虚構だよって私が言ってるそのことも、また虚構だったりするかもしれないけど。そういう霧の中の不安にせめて少しは耐えて生きてくださいよ。

わ、こんな時間。もう寝ます。(実際には寝るとは限らないけど。笑)

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カツジ猫