せみが鳴くのはまあいいとして
昨日、買い物から帰って車を降りたときに、一声二声、つくつくほうしの声を聞いたような気がしたが、あれはいったい、どういうことだ。
例によって、朝から降るのか降らないのかさっぱりわからぬ空模様。イライラするのもいやだから、さっき思いきって水まきをした。重苦しく今にも泣き出しそうな空を見上げて、「どうせホースをかたづけたとたんに降り出すんだろ」と毒づいたが、今のところ、まだ雨は落ちて来ない。
去年だっけ、一昨年だっけ、体調のすぐれないのをごまかそうとして、外から見える窓べのディスプレイにはまりまくり、年中行事のグッズを山ほど買いこんだ。何ヶ月も前から買おうとするので、目ぼしい品がちっともネットで見当たらず、気に入ったのをさがすのに一苦労した。
その熱もほどよくさめて、今は一応買い物熱は治まっている。体調も精神状態もそれだけ回復してきたということだろう。
ただ、ときどき、そういうグッズを補充したくなって調べると、もうかなり行事が近くなっているせいもあって、よりどりみどりの美しい、可愛らしい商品がネットにひしめいていて、前のような苦労はない代わり、誘惑も多い。
お盆の飾りを買ってなかったので、ほしくなって、ちょっと通販サイトをのぞいたら、去年はワラの牛馬ぐらいしかなかったのが、今年はガラス製の、とてもきれいな置き物とかが、いっぱい出ていた。
ほしかったけど、行事の時期以外はしまっておくので、かわいそうだと、ちりめんのホオズキとなすびときゅうりの牛馬セットで手を打った。もっとスマートなものもあったのだが、なすびの牛もきゅうりの馬も、いやにぷりぷりはちきれそうで、手作りっぽいのが気に入った。
こんな、しょーもないお遊び気分で買う人間はもちろん少ないと見えて、販売元の仏具店では「どなたがお亡くなりになったのか知らないけど、ご冥福をお祈りします」みたいな、腫れ物にさわるような、心のこもった文章の手紙とともに商品が届いて、何だかこっちが非常に恐縮した。
下に敷く小さな敷物までついていて、これが少しうねって浮いているので、今テーブルクロスの下にはさんで、まっすぐにしているところ。
そして、買いこんだヒマワリと朝顔の種をまだ全部植えられてない焦りから、今日はスーパーの雑貨屋で、小さなヒマワリのヘアクリップを買ってしまった。いやもう、ばあさんがつけるようなものじゃないのだけど、ごめんよ、ヘアクリップ。
私の行きつけの美容師さんは腕がめっぽうよく、私をとても大切にしてくれるので、パソコン担当者の若い人同様、私は彼らがどうかいつまでも元気で幸福で無事でいてくれと日夜祈りまくってる。「人が死んで悲しいのは、肉親でも恋人でもその他何でも、結局は自分の都合と便利さ以外の理由はない」と私はいつも思っているのだが(淋しいとか、生きがいがなくなったとかいうことも含めて)、その最も具体的な例だ。「平家物語」で、鬼界が島に一人置き去りにされた俊寛が、それまで他の流人の家族から送られてきていた食料やなんかも来なくなって苦しんだと書いてあるのが、昔は何とも思わなかったが、今はそれが一番大変やんと思ってしまったりする。
で、その美容師さんのカットはカッコよくて、皆にほめてもらえるほどなのだが、ときどきちょっと前髪がカッコよくたれすぎて、じゃまになる時期がある。少したつと耳にかけられるので無問題になるのだが。私のきげんが悪いときには、これがうざくて、ぐさっとクリップでとめてしまわずにはいられない。
今がちょうどその時期で、だからつい、買っちゃったりもするわけだ。
そして一方、やっぱりあのきれいなガラスの牛馬もほしいなあ、一年中仏壇に飾っとけばいいやんなどとの気持ちにもなりかけていて、非常にやばい。来年まで無事に生きていられたら(って、別に何か危険があるわけじゃないけど)買うことにするかとか、いろいろ自分をなだめている。
あー、こんなことにかまけていて、しかもその一方で、アメリカがウクライナにクラスター爆弾を供与し、ロシアも「クラスター爆弾なら、うちはもっといいのがたくさんある」とか言ってるらしい、世界情勢にも慄然としているから、仕事が進むはずもないやんね。
いただいた研究書の感想だけでも、少しずつ書きたいと思っているのに、そこまでなかなか行き着かない。
だいたい、学生時代にベトナム戦争反対とデモとかしてた私の記憶じゃ、クラスター爆弾やボール爆弾って、核兵器と同じぐらい、人が使っちゃいけないひどい兵器だぞという印象がある。爆発と同時に小さい弾が飛び散って、多くの人を残酷に傷つける武器のはずだ。そんなものを使って、人の肉体を破砕するのって、許されるもんじゃない。
あれだけ、そういう兵器の使用に抗議した学生時代だったのに、今回初めてニュースでその爆弾の映像を見た。映画「プラトーン」を映画館で初めて見たとき、それまで「日本の基地で、日本が米兵の死体の処理をしていて、戦争協力じゃないか」と何度も抗議していた、その死体袋なるものを実際に映像で目にしたときの、なまなましい感懐に似たものを感じてしまった。
こんなものが使われている世界。そこで死ぬ人たちがいる時代。
まあそんな中、やっとこさ、毛布を洗濯してベッドを夏仕様にした。猫のカツジが毛だらけにしたクローゼットの毛布たちも、明日は洗濯しないとかなあ。