ぜいたくな正月。
◇母が年末に亡くなったので、正月の準備らしいことをまったくしない年末だが、それもまた、妙にぜいたくなものだ。
大みそかも何のその、田舎に帰って片づけにはげんだ。さすがに完全には無理だったが、何とかめどをつけた。年が明けてから一度行けば、ほぼ何とかなるのではと思う。
この家で正月を過ごすのは、これが最後になるかもしれないので、立派なしめかざりを買い、古い大きな三宝にでかい鏡餅をのせて、別れを惜しんでやろうと思っていたのだが、それもできなくなったとあきらめていた。しかしふと、1月からはこの家は市が借り上げてくれて、契約書も交わしたのだから、私の持ち物じゃないじゃんと気づいた。私がそう言うと、従姉は「あっ、そうよ!」と声をあげ、マッサージの先生は大笑いした。
どっかの首相のおかしな法律解釈に比べりゃ、よっぽど良心的だろうと、昨日、しめかざりと鏡餅をかざり、念のために玄関の表札の上にボール紙で、宇佐市と管理してくれている不動産の名を書いたのを、かぶせてとめておいた。
例年飾る、鏡餅とキャラメル猫のツーショットの写真を棚において、ついでに父と母の写真も横に置いてきた。玄関には、庭に満開になっていた、蝋梅の花をいっぱいに切って瓶にさした。
今朝は、お墓参りに行った。このところしばらく、あわただしくて、ゆっくり掃除もしてなかったので、ぽかぽかと暖かいのを幸い、墓石に水をかけて、よく洗って、ピンクと白のストックの花を満杯に活けてきた。高いところにある墓地なので、電車が走るかなたには、青い海が絵のように広がっていた。
片づけが終わるころには夜になり、戸締りを確認していると、川に面した廊下のガラス戸の向こうで、何か光が点滅している。門灯が切れかけてでもいるのかとドアを開けて見たら、川向うの神社への道に、地域の人が飾ったのか、電球がずらっとついて点滅していた。初詣の準備らしい。鳥居の上までかかっていて、クリスマスじゃあるまいし何かちがう気もしたけど、昔なら提灯だったのかなと思ったりして、地域の皆の心意気に、思わず帰り道にまだ誰もいない神社に立ち寄った。お賽銭をあげて、初詣には来れませんが一年間ありがとうございました、母をよろしく頼みますとあいさつして来た。
帰りの夜道はさすがに大みそかで空いていて、カーラジオで紅白歌合戦を聞きながら走った。しかし音だけで聞くと、ますます歌に迫力や魅力がなくて、家に着いたら、もう聞く気になれず、おなじみの海外ドラマのDVDを見ながら、サラダとソーセージと納豆の、超簡単な夕食を食べ、くつろいでいる。明日の朝はトーストとコーヒーですますか。あっ、牛乳を買い忘れてた。
◇昨日の朝は、老人ホームの母の部屋を片づけた。いろんな飾り物や洋服はできるだけ、もらってもらい、叔母の持っていた小さいソファと、私が特注した小さい机だけを、おなじみの業者の人に頼んで運んでもらって、今いる小さい家に入れた。家具だらけになったものの、思ったよりは見た目も悪くないのでほっとした。しかし、掃除がものすごくしにくい。ルンバでも買っちゃろうかと考えている。
◇田舎の家から戻るとき、これまではいつも、家の近くに眠っている、母の飼っていた犬や猫たちに、また来るねと別れを告げるのが、生きていたときと同様少しつらかった。特に猫のモモは母がこちらに来てからしばらく、一人で留守番してくれていたから、なおさらだった。
だが、母が死んでから、もう今は母といっしょにいるのだろうと思うと、とても安心していられる。彼らを残して戻るのが、もうつらくない。彼らはもうきっと、私のことなど気にかけず、母と遊んでいるだろう。
今日、片づけをしていたら、お葬式にも来てくれた近所の女性の方が通りかかって、母をなつかしがって、ひとしきり話がはずんだ。棺の中の母が、いつも行っていた旅行に楽しく出かけようとしているように見えたとのことだ。この家を見るといつも立ち寄っていたから、母がいるような気がすると、柱や壁を何度もなでておられた。
別れしなに、「知っている者がいなくなったら、もうそれまでだから」とおっしゃるので、「トーマの心臓」の「人は二度の死を死ぬ」ということばを思い出した。あの漫画を読む前から、若いころ、そのことが私は一番悲しかった。人が死ぬということは、その人を直接に知る人が、その瞬間からどんどん減る一方になるということでもあるということが。
けれど今はもう年をとって図々しくなったのか、どちらかと言うと、母に限らず、そうやって、誰かの死後、次第に増えてゆく、その人を直接に知らない人がむしろ気の毒に思える(笑)。それだけ今は私の方が、生者より死者に近い方にいるのかもしれない。