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それでは、さっそく(笑)

ゆきうさぎさん

ヤスミナ・カドラの小説「カブールの燕たち」に、タリバン政権下でブルカをかぶることに耐えられなくて苦しむ、若い妻が出てきます。
夫も彼女も西欧風の感覚で生きていたエリート知識人で、以前はブルカの強制もなく自由だった時代を満喫していた人たちです。

ブルカなんて、ただの布です。かぶって苦痛があるわけでもない。伝統文化といえば、そういう面もあります。けれども彼女にとっては苦しみで、精神を病んで破壊されて行く。彼女を深く愛して理解している夫もなすすべもなく苦しんで、ともに傷つけあい、悲劇が起こります。

同じ作者の、妻が自爆テロを行う「テロル」では、夫は妻のそういった活動をまったく知らず、事件の後で苦しみぬきます。それも悲劇ですが、私は「カブールの燕たち」のこの若い夫妻の愛が、とてもまぶしくて痛ましく悲しかった。

ネタばれになるのでしょうから、二人の悲劇と、それからひきつづく更に悲しすぎる展開と、そのブルカが「人の顔をかくし、女たちの区別がつかない」効果が最後に、あまりにも皮肉なかたちで描かれる、この、まるでギリシャの古代悲劇かと思うほど、単純で否応なしの筋書きを書けないのが残念です。

ともあれ、纏足やクリトリス切除、花嫁の火刑といった、あきらかに肉体的苦痛をもたらす伝統文化(しかし、こういったことさえも、西欧社会が一方的に介入して禁止するのは価値観や美学の押しつけだという考えもあるのでしょうし、男性の割礼はどうなのだと反論される方もおそらくいらっしゃるのでしょう)とはちがって、ブルカをかぶるなどは、逆手にとれば楽な面さえあり、笑って冗談にしようと思えばできないこともなさそうな面があります。
それでも「カブールの燕たち」の妻は傷つき、夫もまた傷つき、二人は傷つけあった。

私の中にある、その妻の心が、そして夫の心がわかる部分から、私は出発したいし、迷ったらそこに戻りたい。
それに、タリバン政権下とちがって、発言しても殺されないだけましだと思っていますし、黙って耐えてひそかに傷つくよりは、自分の不快感、嫌悪感を伝えておく方がよいと判断しています。「私はとても苦しい」と言わなければ、相手にはわからないこともあります。

じゅうばこも私も、かつて(別に女性を愛していたからでもなく)男性をどうしても愛せなかったのは、「(こんな女性差別がおこなわれている社会で、それに傷つかず生きている)あなたたち男性すべてが憎い」と、どうしても言えなかったからでした。
男性を愛していたから、傷つけたくなかったから。

いや、でもこのことを真剣に考えていたのは、じゅうばこさんの方だったから、彼女にあとは話してもらった方がきっといいんだろう。(笑)

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カツジ猫