先憂後楽
おっ、タイトルの文字、一発変換できた。パソコンめ、ちょっと賢くなったかな。
じゅうばこさん、ゆきうさぎさん
女人禁制についての議論を進める前に、確認しておきたいのは、さしあたり私がやめてほしいと思っているのは、「その地を世界遺産にする」ことであって、「その地の女人禁制そのもの」ではない、ということですね。
むろん、お二人同様に、私もその地域のそういう禁制は不愉快ですよ。なくなればいいとは思っています。
しかし、残り少ない人生で、そんなひっそり女人禁制を守っている人たちや組織と話し合ったり考えたり、交渉したりするヒマは私にはないです、どう考えても。
意味がないとは思いません。大事なことだと思います。ただ、自分の残された時間(特に病気やその他で死期がせまっているというのではありませんが、何十年というほど長いとは思えない)の中の優先順位では、やはり、この問題に取り組むより先に、しなくてはならないことがいろいろとある。
「女性を排除する団体や行事や伝統に、未来はどうせないんだから、ほろびるにまかせて放っておけ」という人も、男女問わず私の周囲には多くて、中には、大相撲の土俵に女性が上がれない件についても、「なまじ運動して上がれるようにしていたら、このところの不祥事や危機のすべてを、『女性が土俵に上がったからだ』と言われかねなかったじゃないか。相撲でなくても、どうせすたれて、力が落ちて衰退して腐敗して行くものを、女性を参加させたせいだったなどと責任をとらされちゃかなわない。ここまで排除してきたんなら、最後まで、そのままくたばれ」と、過激な発言をする人もいました。
これらは、あまり人間を愛している姿勢ではないと思いますから私は同調しませんが、たしかに女性に限らず何かを排除して成立するものの未来や発展に私は懐疑的ですし、それを親身に心配する気にもあまりなれないのは事実です。
しかし、この考え方は両刃の刃ではあるのです。
だいたい、ほろびゆくものを見捨てようとすると、しがみつかれて、あるべき発展をはばまれ、無理心中のようにして、こちらまでほろぼされかねませんからね。
大相撲の土俵に女性が上がれないのが問題になった局面を見るとわかりますが、少なくとも、この伝統は、女性知事や女性首相が誕生することを予測して作られていなかっただろうと思います。
同様に、今回世界遺産にしようとしている女人禁制の地域でも、先に言った医師、消防士、刑事、警官、自衛隊員、学者が圧倒的に女性ばかりになった時のことは考えていないでしょう。市長や議員をはじめとした自治体の職員、世界遺産の認定をする委員、そういった必要欠くべからざる人員が皆女性になった時のこともきっと考えていない。
今回の震災のニュースを見ていても、あらゆる地方自治体の会議がみごとに全部男性なのを考えると、まあそんな事態を予測しないのも無理はないかもしれませんが、長い目で見ればある地域や時期にたまたま、必要な仕事をするのがすべて女性になることもあり得るわけです。
そうなってもなお、女人禁制を貫くというのなら、私はそれなりに評価もしますが、(それも、世界の終わりのように大騒ぎして周囲を濁すのではなく、静かに誰にも気づかれず消えるという品格を保ってくれるのならですが、)これまでの世の中の動きを見ていてもおよそ見当がつくのは、そうなったらきっと神さまのご意思も伝統も何のその、きっとたちまち規制はとかれるだろうと思えてならない。
先憂後楽、つまり、起こり得るあらゆる事態への対応を考えておけというのは、責任ある立場の人の要件でしょうが、そういう点で私は、「女性が社会に進出した場合の対応」をまったく考えていない組織や共同体は、不良債権にしか見えないですね。
が、しかし、それもいい。いや、よくないけど、そこまで心配する時間は私はない。
今回、私の住む自治体が、世界遺産にしようとしている女人禁制の地域は、当の、そこの方々でさえ、決して積極的ではない。それなのにわざわざ、このような議論をまきおこすことをして、いったい、誰に何の得があるのか、そのことが何よりも私には不可解です。
私は「寝た子を起こすな」という言い方も「地元の意志」という言い方も、本来好きではありません。しかし、今回このことを推進しようとされている方々は、静かに波風立てないで暮らしたいと思っている、地元住民(私一名でもいいです)の願いをどれだけわかっておられるのか、本当に知りたいです。
不必要に地域と対立したくないから、固有名詞もまったく書かずに話しているほど、臆病で小心な私の心情を、察していただきたいものですね。(笑)