だはは
「古事記伝」、冒頭で宣長が文字や仮名遣いについて、ものすごく長く語っているのはすっとばして、その先を読んでたら、次のような記述があって、だははと思わず笑ってしまった。
然るを、この聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづらに奇しき得あるものと思ふは、ひがことなり、さて其聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、かゝればからくにゝして道といふ物も、其旨をきはむれば、たゞ人の国をうばゝむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二にはすぎずなもある、そもそも人の国を奪ひ取むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、善ことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善人めきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひで、めでたくは見ゆめれども、まづ己からその道に背きて、君をほろぼし、国をうばえるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず
だって。
これ、もちろん儒教や中国の批判なんですが、「聖人が立派というけど、それは国を支配しよう維持しようとして、気を使っていいことをして、皆の人気を得てるから善人にみえるだけで、もともとは国をとろうという目的から生まれてるんだから、ちっとも善人なんかじゃない」って、なかなか笑える。いや、今の世界や日本の現状を見れば、「いいことをして、皆の支持を得よう」と思うだけでも上等やがなと思ったりもするけど、立派な支配者、指導者について考えるのに、今でも面白いし、参考になる。
で、これで宣長は仁義忠孝礼智信悌とかも批判してるんですよね。それでふと、気になって妄想するんだけど、例の国学離れする小津久足は、まさか馬琴の「八犬伝」を読んで宣長離れしたとかないよね(笑)。考えたら、馬琴の読本の哲学って、もろ国学と対立するわけじゃん。久足はどこで折り合いつけてたんだろ。誰か気にしてないのかな。そもそも、宣長たちは、馬琴の戯作とか読んでたのかしらん。古義学の伊藤仁斎たちが、西鶴を読んで評価してたみたいというのは有名な話だけど。戯作者と国学者の相性って、どうだったんだろう。秋成なんて多分両立してるんだよね。そんなことも知らないのかと、忘却散人こと飯倉さんから笑われるかもしれないけど。
あー、そうか。私は江戸時代が理屈っぽいと感じていて、それは軍記物の影響とか言ってたけど、これは中国から入ってきた稗史小説やら、その結果の戯作の影響もあるのかな。当然かもね。ぎゃあ。あれこれ無知をさらしてる気がする。恐い(笑)。
山ほど買いこんだノースポールを一念発起、庭に植えまくったが、まだ足が完璧に治ってなくて、きっちりしゃがむと痛いので、かなり苦労した。これだから庭仕事は怠けていたんだよねと、今ごろ気づく。
それでもかなりがんばって、少し残ったが、あちこちに植え、ついでに少し庭をきれいにした。安売りだけあって、ノースポールはかなり傷んでいたのだけど、うまく根づいてくれるといいけどな。ずっと前に奥庭に植えたのは、けっこう栄えているんだけど。
花屋さんで、妖しげに美しいスイートピーが安かったので、どっさり買って楽しんでいる。いい香りまでただよって、なかなかよい。