だましだまし。
◇なーんとなく体調は今ひとつぱっとしないのですが、さりとてはっきり風邪というわけでもなさそうで、だましだまし仕事をしています。
「13階段」を読み上げました。いやー、私の心配していたような甘っちょろい結末ではなく、重い問題を残したままのラストが大変よかったです。
何より死刑制度というものの問題点に正面からとりくんでいるのが、すごいです。こんなに面白く、わかりやすい書き方で。
殺される側だけではなく、殺す側の苦しみをこれだけきちんと描いている小説もドキュメントも、あまり見たことがありません。大学入試なんかもそうですが、機密事項が多いのも、人々がこの実態を知らされないままになっている一因でしょうが、そういう意味でも、ここは小説の出番なんだと思いました。架空の話でしか描けない真実を描く。
◇それにしても、死刑もそうですが、人を殺すことの苦しみは戦争の場合でも同じことだし、もっと大量に人の心を破壊するのだと思います。
幻想かも買いかぶりかもしれませんが、私は自分自身は人を殺すことに、そんなに抵抗のない人間だと思っています(書くかね)。もちろん、絶対に殺したくないから、そういうことにならないように全力をつくしているわけで、日本が戦争をする国にならないように、九条の会の活動をし、平和憲法を変えたがってる政党に議席を与えまいと投票に行くのですが。
しかし、どういうか、そういうことが全部失敗して戦争にかり出されたり、戦場になった場所で誰かに攻撃されたりした時に、人を殺したからって、今さらショックなんか受けません。そこまで行っちゃってから今さら何をごちゃごちゃ言うのって感じです。
投票に行かなかったり、政治に関心なかったり、明らかに戦争してもいいやと思ってる政党に投票したり、つまり戦争に行って自分が人殺しする世の中になるのをくいとめる努力を何もしなかったり、しても努力が足りなかったりした責任というか、そこまでなってしまってから、ショック受けたりするのって、周回遅れもいいとこだろうとしか思えない。
首相が閣議決定で重要事項を決めたり、選挙の投票率が下がったり、それを自分が何ともできない時に、いつも私は、もう自分が戦場で人を殺したと同じショックを受けます。昔の貴族や王族が、毒を少しずつ飲んで抵抗力をつけてたように、私はそうやって、平和憲法や民主主義がちびちびおびやかされるたびに、愛するものを失ったり自分が傷ついたり人を殺したりする世の中がまた一歩近づいたという覚悟を決めてます。
だからもう、いざとなったら、平気で人を殺すだろうし後悔もしないでしょうねー私は。まあ、殺される方になる可能性が限りなく高いけどね。どっちにしたって、そこまで行ったらもうしかたがない。そうなる前にできることをしなかったんだから。しても充分じゃなかったんだから。
何だか自分のアキラメについて語ってるつもりが、ひと様への悪質な脅迫になりかけてる気もするんで、このへんにしときます。
◇あ、沢木まひろの「44歳、部長女子」もつい読み直して感想書きたくなったんだけど、時間がないので、またにします。