ちからわざ。
◇せっせせっせと紙を破ったりしばったり選んだりしつづけていたのが、もういやになって、今日夕方、人が来るのを口実に、強引な力技で、未整理のがらくたを押し入れと書庫に詰めこみ、とりあえず部屋を人が座れるようにしました。さてでも明後日もまた人が来るのですが、その時までに今回がらくたを押しこめた書庫が片づくのであろうか。綱渡りの人生やなあ。もうきっと死ぬまでこんなんだな。
◇今は散ってしまったけど、うちの庭の鉢に植えていた、ミニ桜です。いっちょまえに咲いているのがかわいいでしょ。ごほうびと、はげましに、何か肥料をやらなくては。
◇朝、紹介した、首相が熊本の災害を大震災とさえ認めず、オスプレイ飛ばしたりTPP審議優先したり、わけわからないことしすぎという話ですが、何かこういう事故や事件が起こったとき、あわよくばこの機会にと、自分のしたいことしたり、自分や自分の主張をアピールしたりしてみたくなる人は、そこそこいると思うのよ。誘惑に負けて、それを実行してしまう人も、どれくらいか知らないがいるかもしれない。それに成功する人も少しはいるかもしれない。しかし、それはよかれあしかれ、相当に有能な人ですよ。よっぽど実力や能力のある人でなかったら、そんな危ない橋を渡るもんじゃない。
人道的とか道徳的とかいうことは、実はもっともいらんこといろいろ考えないで、自分の能力をフルに発揮できる、経済的で合理的な、ことの処し方です。よこしまなことを考えるのは楽しいけど、その分余分な計算や選択が必要になるから、まちがいなく力は削がれる。よっぽど余裕があるときでなきゃ、するもんじゃない。
今の首相も政府も、あらゆる意味でせっぱつまって行きづまっているときに、この災害を起死回生の一発にしようと思うなら、さしあたり、いろんなたくらみや思惑はすべてなげうって、人道的な見地だけでなりふりかまわず動くしかない。そういう点では最後の唯一のチャンスだろう。
なのに、しちゃいけないことばかりしてるだろ。今、この災害を自分たちの都合のいいことに利用できると思うほど、自分たちの現在の力のなさに気づいてないのが、もう絶望的。国や国民だけでなく自分たちに関する危機管理能力もないのが、わかりすぎて疲れる。
もしかしたら、もうどうしていいかわからないから、なかったことにして、目をそむけて逃げてるのかな。もはや、そうとしか思えない。まさか、熊本が全国で早いうちに参院選の反自民の統一候補決めたから、救う気になれないでいるとかじゃないよね。まあそんなこと言い出したら、恐れ多くも皇居をはじめ、そうでないところなんかどこにもないから、それはないとは思うけど。と、私の陰気な妄想はどんどん発展して行くからいけない。