ちまたでは
入試の不正が問題になっています。
去年、大学を退職した私は、今年は本当の春休みでほっとしているのですが、在職中は春休みはまったく休みという感覚はありませんでした。4月になって新学期が始まると、緊張どころかほっとしたものです。
春休みは(それ以前からですが)入試業務で職員も教員も生きた心地がしませんでした。仕事も実に多様で瑣末で繁多でした。
試験監督も、電話帳なみに厚い、おそらく実行不可能と思われるほどのマニュアルがあって、年々手順が細かくなり、大学にも受験生にもこんなやり方が役に立つのかと空しささえ感じていました。
携帯電話を使ったという今回の事件の真相はわかりませんが、実際に試験会場に監督官としていた者の感覚では、そんなことを受験生がしていたら、まずわからないはずはなく、周囲の受験生も気づかないはずはなく、実にふしぎな気がします。
机間巡視といわれる、教室を見回って不正行為を防止するのも厳格にやっていたつもりですが、ただ、何年か前のマニュアルで「あまり歩き回られると気が散るという文句が受験生から出ている」と注意があり、どうすればいいんだと怒りを覚えた記憶があります。
良心的な監督官は困惑しつつ、それでも遠慮しながら見回っていたと思いますが、そうまで上から注意を受けて、あえてやりたいことでもなく(数時間ゆっくり目立たないように歩き回るのは、肉体的にかなりの負担です)、やらないでおこうと思う時にはかっこうの口実になったろうとは思います。
受験生から出た不満はよく検討して対策をこうじるべきで、うのみにして、たれながしに、現場に注意するのでは、マニュアルがどんどん厚くなるだけで、何の改善にもなるまいとずっと感じていました。
今回の件も、その結果の一例でなければよいがと思っています。
私はかねがね「赤ちゃんが乗っています」というプレートをつけて走っている車が嫌いで、それは「だからどうなんだと言いたいのか、何を求めているのか訴えているのか、まったくわからないからいらいらする」ということに尽きます。
「見回られるのを受験生がいやがっていますから注意を」と現場に言ってよこすのもそれと非常によく似ていて、だからやめろと言うのでもなく、それでもやれと言うのでもなく、「伝えたよ」という責任放棄、現場への責任転嫁でしかない。そういう姿勢と表現が、純粋にただ薄気味悪いです。
ゆきうさぎさん、じゅうばこさん
キャラメルはこうして見ると、独特の表情をしていますね。「カメラマンとモデルが出来ている写真だ」と笑っていた、よく行く花屋のオーナーが、キャラメルの命日に買ったバラを立派な花束にしてくれました。
彼女の夢にはときどきキャラが、猫の顔の美青年になって登場するそうです。「最近来ないので、たまには夢に出てくれと伝えて下さい」と言われました。
「松島紀行」をちびちび読んでいますが、地名や行程をメモしつつ読むのは、ペースが落ちていらいらするなあ。