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ちゃぶだい返し

◎じゅうばこさん、ゆきうさぎさん

炊飯器へのおことば、ありがとうございます。
40年以上つきあったということは、18歳で大学に入って親元を離れた私としては、男性とも家族とも猫とも、そんなに長くは同居していなかったわけで、この炊飯器が私の人生最も長く同居した伴侶になるかと思ったら、情けなくもありますけど、やっぱり感無量ですね。(笑)

最後の日まで何事もなく、きちんと働いていてくれて、夕食のときに見たら米と水がそのままで、おやスイッチを入れ忘れたのかと入れ直してしばらくしたら、ばたっとまたスイッチが落ちてしまいました。また入れ直したら、何とか生煮え段階までは炊けましたが、結局もうそれが限界でした。
いつか漏電するんじゃないかと心配してくれた人もいたぐらいで、私もそれは少し気になっていたのですが、そういうこともなく最後の最後までつとめあげてくれたのは、あっぱれという他ありません。

院生のときか学生のときかさえ覚えていないのですが、そのころは学生などが個人で自分の電気釜を買うということもあまりなく、やや決意のいることだったように思います。たしか福岡の店で買って、そのころはまだ車も免許も持っていなかったので、箱をつつんだショールの包みを抱えて、夜の長距離バスの停留所に立っていた自分の、ちょっと胸をはずませて「とうとう、買ってしまったな」と思っていた気分を思い出します。行きかう車の光や、ビルの窓の光も、おぼろげにですが思い出します。

それから40年あまり、時には小さい四畳半のアパートの押し入れの中で、(他に置き場所がなかったので)ことこと音を立てながらご飯を炊いてくれていたりして、客が「何の音?」と恐がったこともありましたね。
一度遊びに来た学生の一人が、うっかりスイッチのつまみをはずしてしまって、以後はずっと黒いつまみがないままに銀色の金属の棒で私はスイッチを入れていました。それ以外は無傷でしたが、あまり手入れもしなかったから、表面も錆びて、はげて、これが現役だということ自体、見ても信じられないぐらいでした。

そういうことを思い出すと、なかなかあっさり別れがたく、シャクヤクやバラの花を買ってきて、最後に炊きあげてくれたご飯を一度はそのまま、二度目は焼きめしにして食べたその食事を前に、花を飾って、最後の姿を写真におさめてやろうとしていたら、ソファにいたカツジ猫が飛び上がってきて、まるで参列者のように花のわきに、かしこまりました。ちょうどいいやと、彼もいっしょに写真におさめてやりました。あとで、彼がいないバージョンのも撮っておきましたが。

もう一週間ぐらいおいておこうか、中釜だけは残しておいて、猫の水入れに使おうかなどと考えています。

◎近くのスーパーで、その写真の現像をたのんで、待っている間ヒマだったので、本屋にでも行こうと二階のゲームセンターを通りかかったら、「ちゃぶ台返し」という超バカなゲームがありました。100円で、ちゃぶ台を一回ひっくりかえせて、その勢いや被害額などで点数が出るのです。あまりのアホらしさに、思わず100円投入して、ひっくりかえしてしまいました。近くにいた子どもたちが興味しんしんで寄ってきたのですが、私がさっさとひっくり返しすぎて、もっとじっくり見ていたら、いろいろ画面の選択とか面白かったのでしょうが、気の毒でした。またやろうかな。

◎毎日こんなことをしているわけにもいかないので、明日から少し仕事にはげみます。とりあえず、友人知人とのつき合いは食事もお酒もすべてやめ、テレビも見ないことにします。あとは、なかなか削れるものがないんですよね~。草取りもさぼれないし。猫の世話も。
今、玄関脇には、ごっついトゲのある凶暴なバラが、つぼみをいっぱいつけています。門柱のそばのイチゴは今年はなぜかまだナメクジが来なくて、毎朝4、5個つまんで食べています。甘いのとすっぱいのが、いやに差があるのですが、日当たりの関係ですかね。

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カツジ猫