ちょっと森の中
昔々も大昔、高校生だったころ、今はとっくに廃線になった高校の坂道下のローカル線の無人駅で、誰もいない大雪のプラットホーム(とは名ばかりの、ただの土手の一部だった)で、凍りつきそうになりながら、カミュの「異邦人」の文庫本を読んだ。主人公のムルソーがアルジェリアの熱砂の海岸で人を殺す場面は、今読んでも、冷たさと熱さが同時によみがえって来る。
それを思い出して、そのかれこれ六十年後に七十七歳版をやろうとしたわけでもないけれど(笑)、夏目漱石の文庫本「坑夫」、もともとそんなに長編でもなく薄い本で、いくら、ちびちびだらだら読んでいても、そろそろ読み上げてしまいそうになったから、閉所恐怖症の人は悶死してしまいそうな暗黒の地底の坑道の描写が延々続く終盤を、前にも書いた、さわやかな風の通る、緑に包まれた奥庭の一角で読んで、また、あの変な化学反応を味わおうという気になった。
ここ数日、暑くても風はそこそこ涼しいし、日陰は快適だ。まだ蚊も出て来ていない。それで、朝食後、紅茶をたっぷり入れたマグカップと本を持って、奥庭の椅子でひとときを過ごした。ここです。
いやもう、気分は最高だった。れんがを敷き詰めるのが間に合ってないのは残念だが、座って読書する分には何の問題もないし、紅茶をちびちび飲みながら、暗黒の空気のよどんだ地下の世界を這いずり回る話を読みつつ、眼の前のこんな風景をながめるというのは。
時々、気分がよすぎて居眠りし、本が草の上にすべり落ちました。拾ってはまた読んで、「安さん」というかっこいい古参坑夫の登場などを、じっくり楽しみました。何だか「二十日鼠と人間」に出て来るベテラン牧夫のスリムを思い出したりして、なつかしかった。
読み上げて、あとがきを見ると、これは本当に新聞小説の間が空いて、ピンチヒッターで漱石が書いたものらしく(島崎藤村が「春」をなかなか書けなかったからだってさ)、漱石の家に訪ねてきて、しばらく滞在もしたらしい若者の体験談を、ほとんどそのまま書いただけの小品とのこと。でも、その軽さと優しさが、どこやら童話みたいで、とてもいい。主人公にとっては笑い事じゃない体験でしょうが、いちいち、妙に楽しめる。坑夫も上司もそんなに意地悪じゃないし、主人公のエリート青年の彼らへの嫌悪やさげすみも巧みに表現されている。これを、さわやかな初夏の朝に、森みたいな庭の一角で風と光に包まれながら読んだのは、案外とてもふさわしかったかもしれない。この作品世界は、真反対のようでいて、実はこの奥庭の雰囲気に、とてもよく似ています。
おかげで今日もまた、ろくに仕事をしていない。庭のカキツバタが法外なほど咲き乱れているので、これも広がりすぎたハツユキソウとまぜて、切り花にして飾りました。ユリも次々開き始めて、明日こそは上の家の前庭と中庭をきれいにしようとあせっていたら、どうやら雨が降り出したようで、明日は屋内を片づけるかな。
とか何とかいい気分の時に、西村前経産相の放言を聞いて、怒りで煮えくり返りました。こういう心境なのね、現政権の人たちって。ひとまとめにしちゃ悪いけど、なんかもう、そうとしか思えないほど、やってることと、この発言がしっくり来る。