ついつい遠回り
お天気はいいし、桜はまだほぼ満開だし、今朝私は、多分正しいミーハー精神を発揮して、昨日ここで紹介したウクライナ餅を売ってる餅屋さんに、花見ドライブをかねて行ってみようかと思った。それで検索してみたところが、このお店は伝統ある立派なお店で、今回の餅の収益も全部ウクライナ大使館に寄付するんだとかで、それはとてもいいんだけど、何と週に一日しか営業しておられない。こうやってネットやニュースで紹介されたからには、どうせ今は注文が殺到して即売り切れみたいな状況かもしれないから、これは次の営業日でも、手に入るのは望み薄だな。
どっちみち、今日はだめだとわかったので、気がゆるんだついでに、朝から入浴して洗濯もすませ、料理も作って、昨日買って来た、ラグラスを庭に植えるのに、植木鉢を空けなくてはならないから、いろいろ植え替えたりして、働きすぎて疲れた。合間に買い物に行くと、桜を見ようとして、ついついしなくてもいい遠回りをしてしまうしさ。モールの裏手の川沿いの道が、人も車も少ないのに、見事な桜並木なのよ。でも、さすがにバテてしまって、桜も庭も写真を撮る気力がなかった。と言うよりも忘れてた。
日差しが少しは強くなっているのか、上の家の玄関のライトストーンは、このごろはどうかすると、夜中過ぎてもしっかり光っていて頼もしい。
ロシアのウクライナ侵略は一昔前のアメリカのベトナム戦争みたいな様相を呈して来た。世界中の一応まともな人たちが、こぞって批判している状況も似てる。これだけ世界が嘆いても怒ってもプーチンを止められないというのに、焦ったりいらだったり無気力になったりしている人も増えてきているようだが、ここまで私たちの無関心や怠惰が長年かけてじわじわ育て上げた悪が、そうあっさりと一朝一夕で滅びるもんかい。選挙の投票にも行かずデモにも出ず国会中継も見ないで暮らしていて、世界や国が、まっとうに動いてくわけがないだろうが。こまめに掃除して、片づけておかないと、家は汚部屋になるんだよったら。
とにかく見つめつづけて、考えつづけて、意見を表明して行くしかない。それにしたって、ロシアだかプーチンだかの所業の数々や、国民が彼を支持しているのを見て、自分たちだって、いつこうなるかわからない、すでになっているかもしれないとか感じたり考えたりする人のほとんどいないのに、驚いている。プーチンや大国の暴挙を見て(こんなの珍しくも初めてでもあるまいに)、泡食って浮き足だって対抗策をどたばた一夜漬けで考える前に、自分たちの国だって前にこんなことしなかったか、今もしてやしないか、これからもするんじゃないかとか、少しは胸に手を当てて考えたってバチは当たらないだろうに。そうすることから、おのずと有効な対策もいろいろ生まれて来るものだろうに。敵を知り己を知れば百戦危うからずというじゃないですか。
まあ、永田洋子や宮崎勤や林真須美のすること言うことを見ていても、「ああ、私とあまりちがわない」といつも思ってしまう私が極端なのかもしれないが、しかし、日本の昔からのことわざにも「人のふり見てわがふり直せ」ってあるのに、あのことわざは死語になったのかい。そんな感覚や発想を忘れ去っておいてからに、何がもう日本の伝統だ、美徳だ。笑わせる。
ちなみに窓辺にいたロボットちゃんは、金太郎人形に場所をゆずって、今は室内の棚の上で、一時お休みして待機中。こうして部屋の中で見ると、迫力あるな。