とりあえず、
キャラママさん。
ちょっとだけ、あったかそうにしときました。アバター。
明日も、来週もまた寒いそうで、イヤですねー。
昔、高校の頃だっけ、私は人が死んだあと、もうそれ以上思い出がふえなくて、その人を新しく知る人もふえなくて、いつかその人を知っている最後の人もいなくなる、というのが、一番悲しいことのように思いました。そのあと、同じことを書いている人がいるのを何度か見て、同じように感じる人がいるのだなあと思ったりもした。
でも、それが最近変わってきましたね。自分のことでも、あ、自分のことだと特にそうかもしれない、直接知ってる人が誰もこの世にいなくなって、やがてその人がいたという痕跡さえすべて失われる、そのことが、奇妙に快く、安らげることのように思えてきました。
最近、映画を見たついでに読んだ「ラブリー・ボーン」の小説もそうなのですが、この場合は特に無惨に殺された少女だってことがありますが、それに限らず、人々がその思い出を次第に忘れて消して、ときほぐして失ってしまう時、生者とともに死者もまた解放されて、自由になる、そんな気がします。それは昔は第二の、決定的な死と私には思えたのですが、今は逆にそれは新しい生のような気持ちがするのです。
映画はそこまでうまく表現できていたとは思いませんが、少なくとも原作の小説では、死んだ少女を思い出すことがイコール悲惨な事件を思い出す、救いようのない場合ということをうまく利用して、たとえそういう場合でなくても、死者の記憶が薄れること、死者自身の記憶も消えることが、悲劇ではなく安らぎで解放であることを優しくていねいに伝えてくれていると思います。それがベストセラーになった理由でもあるんじゃないでしょうか。
覚えていてもらっても、忘れてしまわれても、それなりにキャラ君はしあわせだって思いますよ、絶対に。