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とりあえず、とりとめもなく

石破首相は辞任表明の会見の最後に、自民党について述べた。そのよき伝統、生き残ってほしいこと、そのような党になってほしいこと、国民がそれを信じてほしいこと。
 会見全体は、国民の一人ひとりを思いやり、国全体を思いやったものだったけれど、最後の数分のこの訴えは、彼がなぜ辞任したか、なぜあれ以上のことが在任中にできなかったかを、私たちに告げていた。党を割ってはならない、破壊してはならない。国の指導者であるとともに、党の指導者としての責任と良心を彼は守りつづけた。「自民党をぶっつぶす」とアピールして人気を得、おのれの罪を暴露されまいということだけを基準に動く人々のような、甘えや私利私欲はそこにはなかった。自民党は、そういう意味でも、すぐれた指導者を葬ったし、党員としての誇りも捨てた。

つかの間であっても、限界はあっても、あるべき指導者と政治家の姿を私たちは現実のものとして、目にすることができた。この記憶が、その実感が、どれだけ私たちの今後を支えるか、見苦しい見にくいものがあふれる荒波のなかで、効果を発揮しつづけられるかはわからない。それでも絶対に、ないよりは、あった方がよかった。

石破首相は最後まで抗議もしなかったと思うが、「退陣」「辞任」の誤報をはやばやと号外にしてまで出し、その後訂正も謝罪もまったくしなかった、読売新聞と毎日新聞を私は一生許さないし永遠に信じない。読売新聞への期待はもともとそれほどでもないが(それでも今回の件は見逃せないが)、現時点では一番信頼していた毎日新聞の、このていたらくは、私の胸を凍りつかせる。今後、他のどんな良記事や名社説を出したとしても、この誤報の件についての正式な謝罪や説明がなされない限り、私は毎日新聞を金輪際信用しないし、評価しないだろう。

石破首相の後継者は、ひどすぎて興味もないが、少なくとも高市早苗と小泉進次郎のどっちかを選べというのは、火あぶりと釜ゆでのどっちで処刑されたいかと聞かれるのと同じというのが私の実感だ。

共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は、石破首相の退陣を当然とし、関税問題もふくめた政策のさまざまを、全否定し、まったく評価しなかった。今、多くの国民が首相を支持し評価している中で、この視点と姿勢とは、貴重なものだし必要なものだ。共産党としては、そうしか言いようがないだろうし、そう言ってほしいとも思う。
 それでも、と思う。雑すぎないか。きめこまかさが足りなくはないか。これだけあらゆる方面で国内をぶちこわし健全で清潔な精神のすべてを破壊したアベ政治と、まがりなりにもそれと抵抗し対峙した石破首相の施政のさまざまを、まったく無視して同一化するのは、共産党と精神や感覚を同じにする人々の中にさえも、ある違和感を生まないか。
 私に名案や対案があるわけではない。それでも、こういう局面での、何かもっと工夫した表現やことばがないものなのかともどかしい。参政党や高地早苗や麻生太郎と、石破首相をひとくくりにした対応は、まっとうだろうが、芸がない。石破おろしの中心勢力とその背景、統一教会との関わりなどにも、せめて注目する必要はあるのではないか。

これからまた当分マスメディアは、後継者争いをせっせと報道するのだろう。国や国民のためどころか、自民党のためにも絶対によくないことだが、そんなことも気にせずに。それに対して徹底的にしらけて無視する以外の方策を私はまだ思いつけない。考えついたら、また書きます。

あ、でもそう言えば私が「この人だけは絶対に人の上に立たせちゃいけない」とずっと思っても言っても来た河野太郎が後継者候補の中にいないのね。ありがたくはあるけど、どうしちゃったんだろうか。

写真は珍しくひさびさに咲いたカーネーションです。先月末に亡くなった猫のカツジは、この花のとげとげの葉っぱにあごをすりつけるのが好みでした。

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カツジ猫