とり天と桜。
◇カツジ猫も書いているように(笑)、風邪で体調が悪いのをおして、田舎の実家に帰って来ました。
ついでに福岡の櫛田神社に寄りました。ここは、昔カツジが一時迷子になっていて、見つかった場所で、夜中によく猫のキャリアーをさげて、近くの公園や神社の境内を歩いたことがあるので、何となく昔狩りをして大きな獲物をとった場所のような爽快感が、歩いているといつもあります(笑)。思えば自分の家の近所で外猫のしまおを死なせてしまって、しかも数か月それを知らなかったというのは、これと対極の敗北感なのかもしれないですね。
その櫛田神社では、何だかぜんざいをふるまってくれる期間のようで、カツジの健康を祈ったついでに、おいしくいただいて来ました。公園も境内も、桜はみごとに満開でした。
そのあと、博多駅の東急ハンズで、31日に失効するポイントを150円のはした金もムダにすまいと、悪あがきした結果、3000円ほどの春の帽子を二つも買ってしまいました。何をしているんだろうね私は。
◇そういう愚かなことをしている内に気分も次第によくなって、友人といっしょに温泉で一泊後、田舎の家を片づけて、車にものすごい量の本と、友人が梱包してくれたカップや食器を積みこんで、帰宅しました。
実家は大分なので、夕食にどこかで「とり天」を食べたくなったのですが、こちらでもまだ初詣に行ってなかった、近所の神社にお参りして、鯉にエサなんかやって遊んでいたせいで夕方になり、行く先々どこも桜が本当にきれいに咲いているので、日の暮れない内に見たくもあるし、結局とり天を食べそこないました。しかも桜も、途中からは闇に呑まれてぼうっと白い雲のようになり、残り惜しくて近日中にもう一度実家に帰ろうかと思っています。
実際、高速道路の両側にもふちどりのように桜が咲いているし、実家の庭の桜も満開でしたし、途中車で橋を渡った川では、上流下流見渡す限り土手は桜、その近くの山も桜におおわれて、どこもかしこも壮観でした。
江戸時代の花見の紀行では、桜とともに松をほめています。つまり松の緑の中に桜が浮き立つのがいいらしいです。
毎年思うのですが、桜ってふだんは他の樹と区別がつかないのですよね。何気なく普通の顔して周囲に溶けこんでいる。そして、この時期になったとたん、いっせいにあらゆる場所で正体をあらわす。まるで一揆でもするように。「おまえ、そこにもおったんかい!」と、のけぞるような思いがけないところに、ぽかあっと白い雲のように浮かび上がる。どこか不気味で恐いのも、その現われ方じゃないだろうか。そして、まだ人がその風景を目に焼きつけもしない前に、あれは幻だったのかと疑わせる早さで、一気に散ってしまって、また一年潜伏する。美しいスパイ、美しいゲリラ(笑)。
◇この前ここでご協力をお願いした、渋谷区のパートナー何とか条例は成立したそうです。本当によかった。
一方で、京都の猫の餌やり禁止条例も成立してしまったようで、これは心配です。でもこの機会に餌やりのルールをきちんとして地域猫の保護につなげていくしかないのでしょうね。
◇先日の九条の会の講演会の内容やら、書きたいことはいろいろあるのですが、もう少しお待ちください。ところで今日の毎日新聞のコラムでは、首相の「わが軍」発言にひっかけ、「我が軍と言って良いのは巨人だけ」という川柳を紹介したあと、長嶋監督の「わが巨人軍は」のあいさつにひっかけて、「わが9条は永遠に不滅です」としめくくっていて、思わず「うまい!」と笑ってしまった。最近、各界の思わぬ人たちが、こういう発言を明確にするようになって来たのは、やはり危機感を皆が感じているからだろうか。
もっとも、あれだよ、たしか丸谷才一がもうずっと昔だけど何かのエッセイで、どうしてもジャイアンツが好きになれないのは、あの巨人「軍」という言い方だ、と言っていたっけ。ジャイアンツでも「軍」ということばは嫌いで許せないという感覚の人だっていることはいるのだ。
◇それと、今朝の「しんぶん赤旗」で、ななめ読みしただけだから、もう何ひとつろくに覚えてはいないのだが、今進められようとしている道徳の教科書だか問題集だかの例が出ていて、「本を読んでいたらおばあさんが、肩をたたいておくれと言った。あなたはどうしますか」という質問に、「すぐ読むのをやめてたたいてあげる」「少し読んでからそのあとでたたいてあげる」とか5つか3つぐらいの回答があって、正解は「すぐたたいてあげる」で、これで点数がつくんだと。
ばかばかしくて、情けなくて、涙が出る。
国語教育にたずさわる者の立場から言うと、国語教育が道徳教育みたようになってるのも困るので、そこをしわけてくれるなら道徳教育もあっていい気もするが、こんなくだらん設問じゃなくても教えることはいっぱいあるだろ。それこそ普通に礼儀作法とかでも、公共の場でのマナーでも。
しかし考えて見ると、「弱いものを守ろう」「強いものの言うなりにならない」「お金よりも大切なものがある」「暴力に訴える前によく話し合おう」「意見のちがう人の話はよく聞こう」「ルールを守ろう」なんて、道徳で教えなくてはならないようなことのすべては、今の首相や政府には言えるわけないことばっかりで、これで道徳教育しようとか思う指導者や支配者の心境が私にはわからん。あ、「ばくちはやめよう」ってのもあるな。カジノ法案成立させようとしてるからには、これも都合が悪いんだろう。
◇あまりに急に暖かくなるものだから、母のホームにおいてある服の入れ替えが間に合わず、毛糸のセーターばっかりで、あせっています。明日、何とか時間を見つけて、春物や合物の服を持って行っておかないと。