どう整理してるのか。
◇梅雨がどこに行ったのかは知らないが、最高にさわやかでいい天気だ。カツジ猫の体調がまあまあみたいなので、ワクチンを打ちに連れて行こうと思って病院に電話した。先客がいて、もうちょっとあとの方がいいみたいなので、それまでに遅い昼食にするか、料理をするか、買い物に行くか迷ってる。
ネットで注文した、黒い魚のモビールが届いた。デパートで見かけたのだが、展示品だけで品切れになっていて、どうしてもほしくて、他の気球だの象だのを勧められても、うじうじしてたら、店員さんが会社のアドレスを教えてくれた。実際には帰ってパソコンでモビールと魚を検索したら見つかった。
モビールって、けっこう高い、ぺらぺらの紙切れみたいなくせに、あっさり数千円する。これでイメージとちがったら浮かばれないなあと思っていたが、2階の寝台の上につるしたら、ばっちりすぎて大満足した。窓からの風に威勢よく、くるくる回って泳いでいる。
今はこのコーナーが気に入って、つい何時間も本を読んですごしてしまう。「チボー家の人々」の「1914年夏」の冒頭、ほとんど覚えていなかったこともあって、何もかもが面白い。スイスのジュネーブの社会主義者の青年たちの生活が熱気と活気と危うさに満ちて、読んでいてくらくらする。
だけど、あれだな、「レ・ミゼラブル」のユーゴーの下水道の描写とか、いらんことばかり長々書くと、よく笑われるけど、「1914年夏」だってたいがいだよ。山と押し寄せて登場する二十人近い青年たちの、おしゃべりやら人物紹介やら少年時代やら、もう絶対に先の展開にこんなの必要ないだろうみたいな描写が、どさどさと惜しげもなく続く。こうだから、まるで現実生活そのものみたいに、中身は忘れてしまっても、読者の血肉にくいこむのだろうなあ。書き手も読み手も、幸福な時代だ。それを今再体験できる私も多分、幸福だ。
◇今日の毎日新聞朝刊の政治漫画は、トランプと金正恩が満足げに仲よく道を進みながら、脇道に誰か立ってますね、シンゾウか、などとバカにしたように話している。
私は北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国にそんなに敵意も恐怖も抱いてなかったし、戦争だけは絶対に困ると思っていたけれど、アベとマスメディアのおかげで、たいがいの人はそうではなくて、あの国と指導者は怪物か狂人のように思ってたはずだ。そしてそれが世界の常識とも信じてたはずだ。
それが、このところの、米朝会談の大見出しと、不倶戴天の二人の敵があっという間に親密になり、それを世界も歓迎する状況(それ自体は私は大変満足だしうれしいけど)を、一般の普通の健全な市民は、どう飲みこんで受けとめているのか、私の方が心配になる。
こんな手のひら返しの180度転換の雰囲気は、どう考えてもまともじゃなく、以前の話を信じてた人なら、すんなり受け入れられるはずがない。頭と心の整理を、どうつけているんだろうか。日本が負けて教科書が黒塗りされたぐらいの衝撃的な事態だと思うんだけど、感受性そのものが、なんか麻痺してしまってるのかな。そうでもなければ理解できないが、それもそれで恐い。