なつかしのゴジラ
あんまりあっちこっち、いたるところに桜がぽわぽわ咲いているもんですから、ただそのへんを車で走り回っているだけで、お花見している気分になれます(笑)。桜に浮かされたわけでもないけど、今日はついまた隣町のイオンに「ゴジラマイナス1」の映画を見に行ってしまいました。
私は実は「シン・ゴジラ」は、上から目線というかトップの方の人たちのことしか描いてなくて、しかもそれがまた、あまり鋭い描き方でもなかったから、ものたりなかったんですが、今回の「ゴジラマイナス1」は特殊効果とかだけじゃなく、日本の戦後や一般庶民やその他いろいろ、かゆいところに手が届くように行き届いた細やかさと、歴史や社会や恋愛が、しっくり否応なしにかみあった快さがあって、退屈しないし気持ちよく見られました。
もっともゴジラの造型は、いやいいんですけどすごすぎて、めちゃくちゃ新しくてカッコよくて、素敵でしたが、ゴジラってもっと泥臭くなかったっけとかちょっと思ったけど、でもそれじゃ、ただのレトロな映画になっちゃうから、きっとあれで限りなく正解なんでしょう。
戦後の特攻くずれの青年を主役にすえたことが、どういうのかな、昔の戦後の映画風の健全さやまっとうさや力強さを自然に吹き出させてくれていて、それが不自然ではなくて、なつかしいけど、古くなくて、昔の日本のパワーと若々しさがよみがえっても来るようで、ラストの処理やなんかのすべてが、古めかしいのに古めかしく見えなくて、何だかこう手塚治虫の漫画を読んでいるような明るさと楽しさがただよっていました。
どういうかな、アメリカでも世界でも、これは気に入られたでしょうね。最近の世界が忘れてどっかに落として来たような、恥ずかしいほどのまっとうさが、平気であふれているから、妙に原点に戻った気がするんですよ、いい意味で。多分、今の若い人、ひょっとしたら制作者たちももう知らない、見たことのない、過去の原点に。古い新聞記事を読んでるような、新しさを感じるのです。うまく言えないけど。
作り方もウッディ・アレンの映画みたいな隙のない繊細さとちがって、大味で古風と見せておいて、ぴしゃっと観客の気持ちによりそって来るんですよね。そういう才能が、この監督には生まれながらにあるのかな。
冒頭や中盤で、ゴジラがもう圧倒的な強さを見せて海上で暴れ狂うあたり、昔からのゴジラ映画もそうだったんだと思うんですが、そのあまりの強大さ、圧倒的な力の差に、恐怖とか畏怖とかおごそかな深刻なものじゃなくて、妙に笑ってしまうんですよね、わかります? 映画見て帰ったら、ちょうどネットやなんかで、プロ野球の今日のホークスの試合の話題が語られていて、俊足の周東選手が、常識外れの人間離れしたプレーで荒稼ぎして点をとった(ヒットで一塁に出たあと、三塁ゴロ二つで帰塁得点したらしい)いきさつを、皆が「もう笑うしかなかった」「ただ笑った」「見てて信じられず、何が起こったかわからず、笑えた」とか書いていたけど、それに似た感じではないでしょうか。
そして、ゴジラ映画って、こういう場面で、こういう気分に観客をさせるのが、正しい?作り方じゃないかと思うんです。そういう点で、王道だか基本だかを外していない。観客をしっかり筋にくっつけて、最後までひっぱって行ってくれる。ベタだけど、そこがいい。
そろそろ上映が終わるころかもしれないので、お暇な方は一度ごらんになって下さい。ばかばかしいようで、どこかとても、なつかしい気になる映画です。
ゴジラじゃないけど、色とかはちょっと似ている、昔、叔母に買ってもらった猫の鉢に、植えっぱなしていた花が一年経ってまた咲きました。ちょっとうれしい。