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なにもかもがとても単純になってしまった。

◇「しんぶん赤旗」を取ってるんだけど、今日の紙面を見ると、昨日ネットでいろんな人に好評だった、小池議員の自衛隊についての発言は、特に大きく取り上げもしないで、あくまでも質問全体から浮かび上がる、「いかに9条第3項をつけ加えることで、1項と2項が骨抜きになるか」をていねいに堂々と報じてる、その姿勢の格調の高さ、ミーハー性のかけらもなさに、苦笑しながら頭が下がりました。

だからこそ、昨日ネットで見た、sk_utさんの、こんな感想も生まれるのでしょう。

「自民を支持してきた者として、何だろう、この感覚は。
いまの共産党小池氏のこの答弁の方が、はるかに美しく心に響く。



小池『私たちは自衛隊が無くても大丈夫な'世界'を作ろう、と主張している。だから仮に私たちが政権を取ったとしても、(違憲な)安保法制は白紙に戻すが、それ以前の自衛隊法に従って自衛隊は存続させる」「その先は国民が決める事だ。我々は民主主義というものを何より大切にしている党だ』」

◇そして、昨日本棚を整理していて、フランスレジスタンスを描いた「影の軍隊」という本が出てきました。作者のケッセルは、たしかカトリーヌ・ドヌーヴがなまめかしい人妻を演じた映画「昼顔」の原作者でもあり、この「影の軍隊」も、私が好きなリノ・バンチュラの主演で映画化されました。いっしょに学生運動してた大学の友人たちは、「レジスタンスというよりギャング映画みたいだった」と言ってましたっけが、私はそれなりに満足しました。

なつかしいので、ぱらぱらめくって読んでると、これは短編集なのですが、全部を通して主人公であるジェルビエが、逮捕された刑務所で、共産主義者の若者と会い、彼の助けを得て脱獄するまでの冒頭の一編で、彼が若者にレジスタンスのことを語ってやる場面がありました。

若者は共産主義者なのですが、少年と言っていいほど若くて経験もなく、これまでレジスタンスのような活動をしたこともありません。獄中で肺を病んで身体も弱っています。ナチスの支配下のもと、フランス全土に広がっている命をかけたレジスタンスの活動のことも、関心はあるけど、あまり知りません。家族が共産主義者(コミュニスト)として社会から敬遠されがちだった彼は、そのレジスタンスの中で、コミュニストはどのように扱われているのか、他の人たちから浮いたりしていないのかと心配しています。
それに対してジェルビエは、「ナチスの暴虐の下で、今はフランスを愛するあらゆる人たちが、いっしょに戦っている。コミュニストの人たちもまったく違和感なくいっしょにやっている」と教えて、若者を安心させます。

「今日、コミュニストとそうでないフランス人とのあいだには、もう憎しみもないし、疑惑もないし、どんな障害もないんだよ。われわれはみな同じ戦いを戦っているが、敵はなにをおいても第一にコミュニストを激しく攻撃している。それはわれわれも知っている。それから、コミュニストたちがもっとも勇敢なものたちと同じくらいに勇敢であり、みごとに組織されていることも知っている。彼らはわれわれを助け、われわれも彼らを助けている。彼らはわれわれを愛し、われわれも彼らを愛している。なにもかもとても単純になってしまった」

このけなげで病弱な青年のその後の決意と行動も私は忘れられなかったのですが、大学生のころにこれを読んだときには、それほどでもなかった、このジェルビエのことばが、野党共闘の中で、多くの人が共産党を受け入れ支持している今読むと、あらためて胸につきささります。
特に最後の「なにもかもとても単純になってしまった」ということば! 独裁者がすべてをふみにじる中で、ふだんなら意見や立場のちがいで議論し対決するはずの人たちが、一致団結し、敵と味方がはっきりとして来る状況の、救いと、つらさ。

そして驚いたのは、ケッセルがこの小説を、事実に基づくドキュメンタリーとして書いたのは、まだナチスの占領下にフランスがあった時期なのです。決してレジスタンスの勝利が決まってから書かれた作品ではないのです。

私たちも、もうすでに、このような小説を書くべき時期なのかもしれません。

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カツジ猫