なんとなく怪しげなツリー
今朝早く、凍りつくような寒さの中、母家の玄関前のトネリコを、クリスマス仕様にしてみた。あまりに寒くて途中で逃げ帰って二度寝して、昼からまたとりかかって何とか完成させた。いやーもう、つっくづく、こんなことしてる場合じゃないんだけどなあ。
去年までは表庭のゴールデンクレストもツリーにしていたのだが、この夏の猛暑で枯れてしまったので、二本分のお飾りをくっつけたから、なかなか派手になってしまった。しかしこれ、果たしてツリーに見えるんだろうかね。そこは何とも。


家の中もちびちび片づけてはいる。今日は雑紙と古新聞を八キロ、スーパーのごみに出してポイントをかせいだ。でも何だかまだちっとも片づいた気がしない。どうにかこうにか、居間のテーブルの上だけはきれいにして、お鏡餅を飾る場所を確保した。こんなペースじゃとてもとは思うけれど、がんばり過ぎてバテてもしょうがないしなあ。
ま、マイペースでやって行くしかないか。中庭と奥庭のジンジャーの茂みも思い切って全部刈り込んだから、少しは見た目がよくなったかもしれない。あとは中庭の入り口のハーブの茂みと、垣根のジャスミンを刈り込めば、まあまあ年内の予定は完成かしらん。
庭の木を剪定して、少し風通しがよくなったせいだろうか、今朝、でかい三毛猫(多分)が一ぴき、庭を横切って走っていくのを目にした。野良猫にしては太ってきれいなようだったから、どこかの放し飼いの飼い猫かもしれない。ご近所の奥さまは庭の畑に糞をされたと言っておられた。困ったものだ。
片づけ途中の未読の文庫本の中にあった『家族じまい』をつい読んでしまった。もう少し気軽に読めるサービスのいい作家さんたちの家庭や老後を描いた小説も、決して嫌いじゃないのだけど、それらとは一線を画する、どこやら純文学みたいな文章にすごみがあった。自分が最近妙に蒸留水みたく、いろんなことにこだわりがなくなってるせいもあるだろうが、登場人物たちの嫉妬や淋しさやプライドや、今風の一言でひっくくれば、これも承認要求ってことなのだろうかというような、脂ぎってさえ見える生命力に圧倒された。生きるのも老いるのもホラーだと思わせるほど、救いがないのが、かえって頼もしくもある。
次の集中講義の予定は、江戸時代の思想史と和歌史で、どっちもあまり知らないというか、つかめていない部分があり、いっそ二つをまとめて話せないかという野望も動いて、何だかますます時間が足りない。ぐだぐだしつつも、あせります。