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ぼくが、しんだとし(カツジ猫)

みなさん、こんばんわ

きょうは、いいおてんきで、にわのばらも、ちいさいのが、
あちこちに、さいていました。
 ぼくが、にわにでて、ぼくのおはかのまわりをあるいていると、
かいぬしが、「くりすますの、かいものにいこうか」と、
もうしんで、みえないはずのぼくに、はなしかけたので、
ぼくは、くるまの、かいぬしのよこにすわって、ついていきました。
 だいせんぱいの、きゃらめるさんや、しょだいねこの、おゆきさんは、
うえの、おもやで、ねむっていたので、きょうはぼくは、
はじめて、ひとりで、かいぬしについていきました。

かいぬしは、きのう、かきあげた、ねんがじょうをだしに、
まず、ゆうびんきょくにいきました。
 そうしたら、ゆうびんきょくのひとが、
「うけつけは、じゅうごにちからです」といったので、
かいぬしは、「あら、はやまった」といって、
くるまに、ひきかえしました。

かいぬしは、くりすますには、じぶんへのぷれぜんとを、
かうことにしていて、ことしは、あたたかいくつしたか、
あつでの、ねまきの、どっちにしようかと、まよっていました。

かいぬしの、おかあさんは、ふるいぱんてぃを、
つぎをあてて、はいてたりしたらしいけど、
かいぬしも、だいがくせいのころにかった、ねぐりじぇを、
いまもきていたりします。
 そして、ぼくたち、かいねこがしんだときに、
よく、そのふるいねまきにつつんで、うめてくれました。

ぼくをつつんでくれたのは、
むねに、あかと、みどりの、ごるふぁーのひとが、
なんにんか、ならんでいる、きいろい、ねぐりじぇで、
ぼくが、いきているときも、それをきて、
いっしょによくねていました。
 ぼくのからだといっしょに、もうみんな、つちになったけど、
それでも、そのひとたちが、いまもいるようで、
おはかのなかは、なんとなく、にぎやかです。
 ごるふじょうにいったことはないけど、
しばふや、ひのひかりや、たまをうつおとが、なんとなく、
いつもしているようです。

おなじときに、でぱーとで、かった、
こまかい、あかとあおとしろのよこしまのねまきは、
かいぬしが、まだきています。
 もう、きじがうすくなって、あたたかくないけど、
「きせつのかわりめには、これでちょうどいいのさ」と、
かいぬしはいっています。

「でも、こまったね。わたしもとしだし、
もう、どうぶつはかわないことにしているのだけど、
そうなると、このねまきの、つかいみちがないよ。
だれかをつつんでやろうと、おもいながら、
わりとすきだったから、さいごまで、つい、のこしていたのに。
 なにかいい、つかいみちはないかしら」と、
さいきん、なやんでいます。
 ただ、すてるって、せんたくしは、ないのかよ。
 それだから、へやがかたづかないんだろ。

かいぬしは、けっきょく、くつしたをかうことにして、
いつもいく、ぶんぼうぐやさんに、いきました。
 そこの、くりすますのぐっずこーなーに、
くつしたが、おいてあるのに、めをつけていたらしいです。
 かしみやの、たかいのは、けいえんして、
それより、ちょっとやすい、おもしろいもようのを、
いくつかかいました。
 まっさーじに、いくときに、すたっふのひとに、あしをみせるから、
あんまり、ぼろの、くつしたは、はけないんだって。

かいぬしのおかあさんは、だいぶまえに、ろうじんほーむで、
くりすますに、なくなりました。
 「きゅうじゅうはちだったのよ。さすがに、めいにちは、おぼえてるけど、
なんねんだったか、わすれたわ。
 ばちあたりな、むすめよね。
 きゃらめるがしんだのは、にせんねんって、おぼえているし、
おまえのしんだ、にせんにじゅうごねんも、わすれないだろうけど」と、
かいぬしは、にがわらいしていました。

かいぬしは、そのかわり、まいとし、
おかあさんのたんじょうびや、めいにちには、
ちょっとした、ぷれぜんとをかって、そなえます。
 じぶんへの、ぷれぜんととおなじ、あんまりたかいものじゃなく、
わりとやすくて、ちいさいものです。
 まいとし、なににするか、なやんでいたけど、
「かんがえてみれば、くりすますなんだから、
ちいさい、くりすますぐっずを、かっていけばいいか。
わたしが、しぬまでかいつづけても、
せいぜい、にじゅうたらずだろうし」と、おもいついて、
ことしは、とてもちいさい、「ちぇこ」の、てづくりの、つりーをかいました。

かいぬしは、このごろちょっと、おちこんでいました。
てれびで、しょうせつかや、まんがかのひとが、
かいねことくらしているのをみて、
やさしいこえをかけたり、だいたりしているので、
 「わたしは、しごとがいそがしかったり、
ひとりになりたかったりして、おまえをうるさがったり、
つめたくしたりしたよなあ。
 やっと、たべものをそろえて、ごはんをたべようとしたら、
おまえが、おきて、べっどから、のそのそ、てーぶるのほうにあるいてくるから、
ものすごく、いらいらしたのを、わすれない。
 もうふのうえをあるいてくる、おまえのすがたやかおが、めにうかんで、
なつかしいけど、せつない。
 『あーもう』とおもわず、どすのきいたこえでいったら、
おまえは、しょぼんと、すぐ、ひきかえした。
 それも、わすれないよ。どんなにさびしくて、がっかりしただろう。
なんてひどい、かいぬしだったんだろう」と、しおれていました。

「まだまだ、おまえがいきると、おもっていたもんなあ。
ながいきはしていたけれど、こんなにはやくしぬなんて、おもってなかった。
 と、いうよりも、おまえがすきで、たまらなかったけど、
いつ、おまえをのこして、さきにしぬかとおもうと、ふあんで、
ずっといつも、はらはらどきどきして、つかれていたのかもしれない。
 あんまり、おまえをかわいがったら、わたしがいなくなったとき、
おまえがどんなにつらいかとおもうと、ぜんりょくで、あいするのが、こわかった。
 それも、なんだか、ばかみたい。
 そんなこと、きにしないで、おもうぞんぶん、
おまえとのくらしを、たのしめばよかったのに。
 わたしがしんだあとで、おまえがさびしがることなんかしんぱいしないで、
おもうぞんぶん、かわいがればよかったのに」と、なげいていました。

そんなこと、いまさら、きにしても、しょうがないじゃんかよ。
 こっちも、せきにんかんじるから、あんまり、くにするなよ。
 こんなところは、かいぬしは、なんだか、ぼくににているよな。
 ぼくが、かいぬしに、にたのかな。

でも、かいぬしは、かいものをして、ちょっとげんきになったようで、
かえってから、ぼくがそばにすわって、みているまえで、
うえのいえの、げんかんまえの「とねりこ」を、はさみでかりこんで、
なんとか、くりすますつりーふうにしました。
 あした、かざりをつけるそうです。
 「でも、あめがふるかしらね。ぬれたらこまるから、もっとさきにしようか」
と、なやんでいました。

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カツジ猫