ひきずりながら歩く
さっぱり姿を見せなかった彼岸花が、やっと一本二本、姿を現し始めた。ゆうべは少し涼しくて、窓から吹き込む風が、冷房のようだった。今日はどうなるんだろうな。
それにしても、家の中も頭の中も、さっぱり片づけが進まない。トシをとるというのは、そういうことでもあろうけど、本を読んでも花を見ても何かを食べても、山ほどのそれにまつわる思い出がつらつら浮かんでうごめいて、あれこれ話題が見つかってしまう。それが下手すりゃ未来にもつながって、新しいことをはじめたくなる。まずいよなあ。老後が淋しいとか虚しいとか何もすることがないというのも、たしかにつらいし困るだろうが、私の場合はその逆に、何だかもう、ためこんだ思い出や夢やなんかを、大きな袋につめこんで、ずるずるひきずって歩いているようで、コスパの悪さがはなはだしい。とっくの昔に亡くなった猫や犬や家族や友人までいっしょに連れて、大部隊で移動しているような気もする。こんなんじゃ疲れて、その内一気にぼけてすべてを忘れるんとちがうか。
そうこうする内、大相撲も終わって、プロ野球も終盤に近くなって来た。何だかややこしいことになってるソフトバンクホークスのリーグ優勝は、今日決まるのかしらどうなのかしら。ファンサイトでは昨日の試合の勝利も、最後の津森投手がぐちゃぐちゃだったので、不完全燃焼でつまらなかったと、ちょっとぜいたくな文句を言ってる人が多い。津森投手も気の毒に。強気が取り柄のはずだったのに、どっか身体でも悪いのかしらん。
私はあいかわらずアニメとコミックの野球漫画「忘却バッテリー」にはまっているのだが、その中で、記憶喪失で素人同然になった、かつての(ったって中学時代の)名捕手の高校生が、バッテリー組んでる天才投手の幼馴染みの性格にあらためて気づいて「ハルちゃんて、ワガママじゃね?」とぼやき、チームメイトが「あのな、ピッチャーてのはだいたいが自分本位なんだよ」とか、常識のように教える場面がある。「そんな相手の一番近くにいる捕手なんてポジションいやだ」と彼は絶望し、そっからまたまた爆笑ものの会話が続くんだけど、それを読んだときは、現実の各球団の投手や捕手の顔を思い浮かべて、ホークスで言えば、甲斐捕手はよっぽど偉いんだなあとか、栗原選手は捕手から野手に転向してほっとしてるんだろうかとかも、つい連想したりした。亡くなった母が、「キャッチャーが一番大事で大変で偉いのよ」と幼い私にくり返し教えたことも思い出した。
そうしたら、先日たまたま、かなり昔の書き込みで、もう今は移籍してしまったが、ホークスの高橋礼投手について書いた自分の文章(後半の方にあります)を見つけて、読み直して、あまりの、そのまんまぶりに、相当めちゃくちゃ笑ってしまった。なるほどなあ。こういうことか。