ふざけんな
毎日新聞は、いろいろ、しっかりしたいい記事もよく出してくれるので、基本的には信頼しているし、そういういい記事のときに、ちゃんとほめないといかんのだけど、昨日か一昨日の政治欄の見出しにはすごくむかついてしまった。
細かいことは覚えていないが、国会をとっとと閉会して、桜を見る会の問題をうやむやにしたまま逃げ切ろうとしている政府に対し、野党はそれで終わらせまいと「躍起になってる」んだそうだ。
桜を見る会の問題はシュレッダーから身障者差別から反社の定義から、もはや政治問題というより噴飯ものの茶番劇と化してるぐらい、現内閣の末期症状だ。こんなものを見逃して許していたら、税金関係や学生の成績関係の書類を数年保存している私のような一般人やら、うさんくさい人とつながりがあったりパーティーに出ただけで、袋叩きにあって仕事をなくした芸能人の人たちは、ばかばかしいやってられんとそのへんのもの宙に投げて開き直ってもかまわないぐらいのことだ。少なくともテレビも週刊誌もネットも、もう二度と、そういう芸能人の批判はするなよ。あの内閣を退陣させてからにしてほしい。
野党がこのままにしてはいけないと、追求しているのは、もはや政治的な意見とか立場とかを超えてというか下回って、日常社会の常識や、皆が息をするように守っているごく普通のルールが、せめてもう、うわべだけでも今後も何とか守られて行くかどうかの瀬戸際の問題だ。自民党、公明党の支持者であっても右翼であっても、それこそ反社の人であったにせよ、こんなでたらめは許されない基準の話だ。
そこは、わかっているのだろうね。いくら何でもわかっているよね。まがりなりにも新聞だからね。記者や編集者だからね。
わかっているなら、次に進むが、そういう野党の追求を「躍起になってる」と表現する言語感覚って、それ何よ。ふざけんな。躍起になるというのは、しょうもないこと、まちがってることを何とか無理にでもやろうとして、ばた狂ってるような人に対して使うことばじゃないのか。
めんどくさいから、わかりやすく言うと、フィギュアの羽生選手がフリーの演技でまきかえそうと「躍起になってる」とか、侍ジャパンやなでしこの選手たちが優勝しようと「躍起になってる」とか言いますか? もっとわかりやすく言ってしまうと、中村哲さんがアフガンで井戸を掘ろうと「躍起になってた」と言えますか? 今の日本のこの現状で、自民党や総理の桜を見る会の問題を、きちんと追求しようとするのは、あえて言うなら、中村哲さんがアフガンでしようとしていたことと同じ精神ですよ。そうは思えないのなら、それがわからないのなら、桜を見る会の問題がわからないだけじゃなく、中村哲さんのことも決して本当にはわかってないでしょ。人の尻馬に乗って適当にほめてるだけで。
姿勢の問題と、言語感覚の問題と、新聞記者にはあるまじき低次元さで、二重三重に、あの「躍起」は最低です。それとも、どっかその筋から、そういう使い方しろと指令が来てるのに屈してるんかい。それもまた情けないけど、ないわけじゃなさそうだからね。世耕大臣が何でか知らんが、放送前に言葉遣いにいちゃもんつけて、「報道ステーション」に謝罪させたっていう話もあるし。私はこれも、詳しく見てないし、よく知らんのだけど、それはもう、世耕とか甘利とか萩生田とか、名前聞いただけで、ろくでもない発言や行動でべったり汚れたイメージの人物ばかりで、目にするのも汚らわしいととっさに思ってしまうからです。本当に、こんな人材しかいないならしかたがないけど、せめてひっそりこっそりと最低限の仕事だけして消えてしまえよ。何か言ったりしたりしたら、それだけで、ろくでもないイメージが上塗りされるだけなんだから。
いつも行くジムの風呂場で、お湯に入る前にかけ湯をしましょうという注意書きに、イラストがついてて、泥だらけに汚れた汚い裸の男が、湯船の前から、UFOキャッチャーのクレーンみたいなので、つまみあげられて、持って行かれる絵なのだけど、世耕や甘利や萩生田といった名前を見るたびに、その男のイラストが目に浮かんでしょうがないのよ私はね。