ふだつきロッカー
朝から台風の後始末みたいな仕事ばかりで、かけずり回っていました。車に積んだままだったプラスティックごみやペットボトルや古紙の束をスーパーに運び、ここ数日けんかしていた猫のごきげんとりに、わけてやる刺し身のいいのを買い、などなど。
よく行くスーパーにはコインロッカーがあって、買い物を預けられますが、冷蔵用のが少なくて、ふさがっていて使えないと行動予定が大幅に変更をよぎなくされます。
今日は一個だけ空いていて黄色いキーがぶらさがっていたので、しめたとばかりに荷物を入れて鍵を閉めようとして、ふとまた確かめたいことがあって、開け締めしていたら(100円コインは使い終わったら戻ります)、ちょっとキーが回りにくくなって手こずってました。横のロッカーを開けに来た若い女性がいらしたので、「あっ、すみません」と身体をずらして場所をあけたら、お礼を言って荷物を出しながら、「その3番のロッカー、開けにくいでしょ、前に開け締めできなくなってすごくあせったので、もう使わないようにしてるんですよ」と教えてくれました。
「えー、そんなふだつきのロッカーとはつゆしらず」と言いながらキーを回したら、何とか閉まりました。「よかったよかった」といっしょに喜びました。あはは。
その後、お米を買い忘れたのを思い出して、帰り道の別のスーパーに寄り、お金もないし持ち帰るのに楽なように、一番小さい1キロぐらいの袋を買おうと思っていたら、北海道フェアのささやかなコーナーがあって、北海道のユメピリカとかいうお米の大きな袋がおいてある。
何となくながめていたら、めがねのおばあさんが横にいらして、いっしょに迷っておられるようだったので、私が「これおいしいんですかね」と言うと、「おいしいですよ、私はいつもこれを買ってます。でも小さい袋ですけど。これだとだいぶお得ですね」とのこと。大きい袋すぎて迷っておられたのかな。
「それじゃ買おうかな。教えて下さって助かりました」と言って、6キロ入りの大きな袋をかついで帰りました。いつもはこんなことないんですが、妙に未知の方との交流があった日でした。値上がりのせいか台風のせいかで、皆、人恋しくなってるとか、まさかね。
昨日こちらで紹介した国葬反対のバナーをA3サイズに大きく拡大してコピーし、知り合いのお店に持って行ってさしあげたら、大いに喜んでいただけて、さっそく店内と表に貼り出しておられました。味をしめて、大学の同僚にも持っていったげようかと思ってます。
うさぎの置物の時計もめでたく電池が買えました。行きつけのお店に行って「これに合うのを」とお願いしたら、腕利きの店員さんとご主人が「サイズがわからないなあ」とだいぶ悩まれて、「多分これで」と見当つけて下さったのが、ちゃんとはまって無事に動き始めました。
そんなこんなのあれやこれやで午後いっぱい走り回っていて、昨日の風で道路に転げ落ちたベゴニアを、一応鉢に戻したけど、ちゃんと植え直してやらないとと、夕方帰り着くまで気が気じゃありませんでした。いきなりですけどね、入管でカメルーンの男性が具合が悪くて「苦しい、死ぬ」と訴えているのに、一晩放置して救急車も呼ばないで死なせてしまった職員の人の精神は、タフやなあ(ほめてない!)とつくづく思いました。
何とか暗くなる前に家に帰って、しおれかけているベゴニア二つを植え直して水をやり肥料もやったけど、持ち直してくれるかなあ。
「いつでも取って下さい」と言われている、お隣の垣根のゴーヤがすっかり育って大きくなり、ひとつは半分黄色になって、近づいてみたら、下半分が裂けて、まっ赤な口のように中が見えて、怪物みたいで面白く、写真撮っちゃろ!と思っていたのに、お隣の方はみっともないと思われたのか、ちぎってしまわれたようで、がっかりしています(笑)。出かける前に撮っておくんだったなあ。
あきらめきれなくて、ネットで「はじけたゴーヤ」とかで検索してたら、似た画像が見つかりました。そう、こんな感じになるんです。ちょっとグロいけど、きれいですよー。
そんなこんなであっという間に一日過ぎて、明日のためにももう寝ます! あ、米澤穂信の「Iの悲劇」の文庫本を一気読みしちゃった。最初、田舎の村への視線が冷たげで、ちょっと違和感があったけど、そんな一筋縄で行く作者なわけはなく、最終的には地方と中央の問題まで広がりつつ、人間関係の機微まで暖かい視線で深めて、さすがはと満足。ただ、いつも思うんですが、この人の作品、ミステリ仕立てなのが効果的であると同時に、その仕掛けをはずしても(はずした方が)文学としてもっと深まって楽しめるような気もするんですが、幻想だろうか。
そして今夜も夕顔はしどけなく咲きほこっていました。