ふり返れば朝が遠い
最近、朝からあまりにあれこれ、駆け回るものだから、夕方にもなると、もう朝は遠い昔のことのように思える。毎日新聞の川柳欄で「かと言って総理の器見当たらぬ」の一句を見て、何がどうなっても、右翼だろうと左翼だろうと、安倍信者だろうとその反対だろうと、今は絶対に、こんな言い古された頭も心も怠けきって腐りきったことばの羅列の句を読んではいけないだろうし、選んでも掲載してもいけないだろうがと、激怒したのは今朝だっけ、昨日だっけ。
私は悪よりもバカが嫌いと数日前に書いたが、バカよりももっと嫌いで軽蔑するのは無気力だ。ろくに考えもしないし勉強もしていないのに、とりあえず気の利いた高見の見物みたいな、しゃらくさいことを言っておけば、自分が本当に高みにいるかのように錯覚するやつだ。あんたのいるのは高みでも平地でもなくて、汚いどぶどろの中だよ。あえて比べるのももったいなくて汚らわしくておぞましいが、中村哲さんの生き方と、これほど対極のものはない。まだテロリストの方が立派だよ。本気で言ってます私。
しかしな、バカが嫌いなのは、自分も愚かだからだろうと自覚してるように、今、こんなに無気力なくせにえらそうなやつにムカつきまくるのは、私自身がどっかそうなりかけてるからかもしれないな。退化して行く自分自身を見せつけられているような、嫌悪感があるんだろ。ああいやだいやだ。
年末三つの講演の内、二つが何とか無事に終わった。でも、かなりぎりぎりの状態で準備をしなければならなくなって、本当にじたばたした。くり返すが、こんな思いはもう二度としたくない。最後の講演の準備に、明日から全力を上げる。もちろんブログもきちんと書きます。
白黒猫のマキはまだ帰って来ません。彼女がやっと撮らせてくれた、最後の写真をあげておきます。花の陰で、ぼやけていますが。ロマンティックになんかなってる場合じゃないですが、もしももう死んでいるのなら、せめて今、こういう感じのどこかで暮らしていてほしい。