守られて
新しい車にもだいぶ慣れて来た。言い方がおかしいかもしれないが、この車は住心地がいい。まだ説明書をよく読まないで運転しているので、一度ちゃんと読まなくてはいけないが、わかっている範囲だけでも、機器もその他のもろもろも使い勝手が悪くないし、落ち着く。車で暮らす人の気持がちょっとわかって来る気がする。
家の居心地も最近悪くないのだが、もっともっと荷物を減らさなくてはいけない。しかし、掃除や庭仕事や料理や猫の世話といった日常の雑用に追われて、快適な状況を維持して行くのに精一杯で、なかなかそれ以上の前進ができない。
今日は、庭にポットを並べて、とっておいた柿の種を全部植えてみた。どのくらい芽を出すのかわからないけど。
すっかり寒くなって来て、ふとんを冬のに代えたいと思うのだが、なぜか夏のタオルケットの上に羽根布団と薄い毛布を重ねただけの現状が、とても快適だし寒くもないので、交換をためらってしまう。昔の座布団をリフォームした、大きなサイズの立派なふとんができているので、ためしてみたいのだが、毎晩ちっとも寒くないので、ついそのままにしてしまう。
上皇夫妻が中村哲さんの死に弔意を示したらしい。そして、そのことにヤフーのコメント欄でいろんなしょうもない批判が出ていたらしい。私はさっき、その記事に気づいたのだが、今では「何というバカな批判をするんだ。中村さんも上皇夫妻も立派だ」というコメントが圧倒的で、批判をかけらもないほどに押し流してしまっている。
ヤフーのコメントはだいたいがしょうもないのだが、これだけそのしょうもないコメントが、かき消されてしまうのは珍しい。中村さんのことを初めて知って感動している人も多く、あらためて、これだけ文句のつけようもない献身的で潔癖な仕事をされ、実績も上げていた人の偉大さを思い知らされる。私は天皇制にはまったく反対だが、現天皇家特に上皇夫妻には、いつも強い共感と尊敬を持っていた。森村桂との交友もそうだったが、私の支えたいと思い、自分も支えられて来た人たちが、どこかでこうやってつながっていることに、深い喜びと何者かへの信頼を感じる。
一方でまた、そのコメントの数々を読んでいると、右翼も左翼も何もかもでんぐりがえって、ごちゃごちゃになってるような状況に、呆然としたり、ほとんど笑いたくなったりする。「ネトウヨという朝敵」とかさ。
そして、あんまりないようだが、「これだから防衛のための武器が必要。憲法九条は役に立たない」という発言も時にある。中村さんに限らず紛争地域で日本人が無事でいられたのは、武力ではなく、「平和な日本」への信頼だったということを、気づきも考えもしないのだろうな。
丸腰で武器を持たなかったから中村さんは今日まで生きてきた。憲法9条の存在が海外で活動する人を守ってきたと中村さんも言っていた。(はるみさんのツイートより)