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ぶつくさ

昔から、夏休みや連休というと、「お休みでうらやましいですね~」と言われるのが烈火のごとく腹が立っていました。
 だって、ふだんは、小刻みの空き時間しかなく、まとまった自分の研究も資料調査もすることがまったくできず、大きな仕事に打ち込める長期の休みと言うと、それこそふだんの十倍ぐらい死んだ気で勉強しなければならず、おまけに、ふだんどれだけ本来の仕事がお留守になっていたかを思い知らされて、がっくり落ち込み、自己嫌悪になり、焦りや無力感に打ちのめされながら、それでも必死で寝る間も惜しんで、作業や調査に取り組まなくてはならなかったからです。

「先生って休みが長くていいですねえ」「好きなお勉強ができるのがうらやましい」などと言われるたびに、ひきつった笑いを浮かべて、「休みが一番忙しいんですよ」「そんな楽しいもんでもないんですよ」とか、いくら言っても無駄でした。誰も聞く耳持たないで、大学の先生とは優雅で高給取りで、自由な時間を持て余してると決めてかかって、疑いもしませんでした。私が相当ふしぎでならなかったのは、こういうことを言う人たちは、自分と私のつきあう時間をどう思っているのだろうかということでした。もしかしたら、自分たちとつきあう時間があるのだから、私は相当ヒマなのだろうと感じておられたのでしょうか。「無駄な時間を削ってはどうですか」と言って下さった人もいたけれど、その無駄な時間は、自分とつきあう時間もそうだとは思っておられなかったような気がします。

定年退職して、親も猫も死んで一人になってからは、かなり時間の余裕はできましたが、今度は体力が昔と比べて画期的に衰えました。荷物を一つ移動させるにも、入浴するにも食事をするにも、使うエネルギーがはんぱなく、休み休みでなければ動けません。それも計算に入れながら予定を立て仕事を進めるのにも、何とか慣れては来ましたが、やはり日常の家事や非常勤の授業など、自分の気のすむだけのことをしようと思えば、ついつい無理をするし、家も庭も身体も相当にぼろぼろになります。

それでも計画や精算はそれなりにあるわけで、この連休に、その満身創痍の状態を何とかケアして片づけて、年の中盤から後半にかけての体制を整えることは可能と判断していました。だから、ブログでも、それ以外でも、連休はどこにも行かない、ひたすら家ででれでれ過ごすと公言し宣言していました。

以前から私はこうで、まあ自覚している弱点でもあるのですが、ふだんは、仕事でも付き合いでもいやな顔は見せない、せいぜい楽しそうに元気にやれるだけのことはやる、その代わり、一定の予定した時間だけは前もって確保して空白にさせていただいて、その間だけは、完璧に私の自由にさせてほしいという体制を作ります。
 そして、この確保した体制に踏み込まれたり壊されたりすると、私は激怒し無茶苦茶になります。これだけ配慮して準備して、この日のためにいろんな仕事を片づけて来たのに、せめて、ここだけは私をそっとしておいてくれという感じです。

でも、それはしばしば失敗します。もういいかげんに自分でも気づけよと思うのですが、毎回私は激怒し、半狂乱になります。我ながらバカですね。つくづくそう思います。

今回もまた、私が連休の間に何もしないでいるらしいと思った方がおられたようで、訪問やら仕事の依頼やらが、しれっといくつも舞い込んで来ました。何なんでしょうねもうまったく。

Yahooの記事に、「老親のところに孫を見せるという名目で訪れて長居するのは迷惑」かどうかみたいな話題が出て、盛り上がっていました。読んでいる内、高齢になって経済的にも体力的にも苦しくなっている老親の状態に思い至らず、帰省滞在してのんびりしまくる子ども世代の話を読んでいる内、思わず「友だちも同じようなもの。訪れて『ここが一番くつろぐわあ』とか言われると、ぞっとする」と書き込んでしまった私もかなり平常心を失っている(笑)。

老親にしても友人にしても、若いときや親が元気な時は、来られても歓迎するし楽しいし、歓迎も対応もそれなりにできる。だけど、たとえば、両親が死に自分も老い、家の管理や毎日の生活でも費用や体力で追いつめられている時に、昔と同じ感覚で再々訪れ、「ああ、ここに来ると、昔と何も変わってないからほっとするわあ。昔に戻ったようだわあ」とか言われると、その昔のままの状態の庭木や家や生活を維持するのに、私がどれだけ苦労しているか知ろうとも想像しようともしない鈍感さに、百年の友情もいっぺんに覚める。しかも、そういう私自身に対してさえも、私が昔とまったく変わらない世間知らずの恵まれたのどかでのんきなお嬢さんと思いこんでるんだか、そう思っていたいんだか知らないし知りたくもないが、そんなにいつまでも苦労知らずの能天気で、私が生きて、家の相続土地の維持その他さまざまなことを処理して、生き延びてこられたはずはなかろうがと苦々しさがこみ上げる。どうも世間は、世の中のどこかに、世間知らずの大学教授や、昔のままのお嬢様が、花びらの散る中にのほほんと優雅に暮らしていてほしいという夢か願いかそんなものがあるのではないかと、最近私は確信している。

いーかげんにしろや。世間知らずはそっちだろ。私はついでに最近、そういう雰囲気の小説が皆もう身震いするほど嫌いになった。どこかで世間知らずの優雅な老女が花と木々に囲まれた小さな家に幸せそうに暮らしていて、孤独な少年や不幸な少女が、そこを訪れては心を休める、なんていう筋書きや設定が、吐き気がするほど気持ちが悪い。そんな都合いい幻想が生むものも育てるものもあるもんか。

「連休は家にいません」「今お仕事をいただいても、とりかかれません」と、いちいちお返事するのもムカつく。だいたいですよ。でれでれ家で過ごすと宣言したからって、あんたのために割く時間があるとどうして思い込めるんでしょう。さらに言うなら、たとえ私が連休に東京に行こうがパリに行こうが北極に行こうが、この物騒な世の中に「連休の間は旅に出ます。毎日留守にして遊びまくります」なんて書いて、空き巣に不在をアナウンスするわけがないでしょうが。家にずっといますとブログにあったからって、家にずっといるんだなと考えるなんてバカですか。そりゃ、いるかもしれませんよ。しかし毎日出歩いて、目まぐるしい予定を秒単位でこなしてるかもしれませんよ。人がヒマだとか、元気だとか、幸せだとか、たかが世界中に公開するブログの記事を読んだぐらいで判断するのはやめて下さい。ふだんのおつきあいで、にこにこ余裕がありそうだからって、それで私のすべてを判断するのもやめて下さい。

はー、疲れた。というわけで、私の連休は、とっぱなから、気分がこわれて、予定が狂って、歯ぎしりしながら始まりました。これからどう立て直すか知りませんが、いっそ、もう、さらにさらに、あらゆる方とのおつきあいをぶったぎって、自分の研究にだけ没頭しようかと思っています。世の中も世界もどうなるか知るものか。いつまでも私が未来や世界を心配しているから、何かが支えられてると思ってる人がまさかいるとは思いませんが、私がどうこう言うのではなく、世界や時代のどこにもそんな、しっかりした柱や安全な庭なんかありません。そんなこと、きっと誰にも実はわかっているんでしょうけど。

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カツジ猫