ぶつくさ。
◇今夜は月が恐ろしいほど美しい。
DVDの「息子のまなざし」は、ものすごく面白かった。派手なCGもアクションも何もなく、ラブシーンもなければ美女も出ず、登場人物はほとんど二人だけなのに、緊迫感で息がつまりそうだった。どーせ、だいたい結末は予想がつくとたかをくくっていたのだが、最後の最後まで気が抜けず、ラストシーンもいろんな意味で「おお!」だった。
こんな地味な、英語でもない映画に日本語吹き替えなんかあるはずないだろ、と思っていたら、何とちゃんとあったので、今日返す前にもう一回見たかったのだが、たいがい画面ですごい銃撃戦があっても人の悲鳴や絶叫が上がっても平気ですぐ前のベッドで寝こけているカツジ猫が、この映画、主役が大工さんで、釘を打ったりノコで削ったりすると、そのたびに耳をぴんとたてて、起きてしまう。猫ってほんとに、大工さんのたてる音が苦手なんだなあと笑いつつ、やっぱり何だかかわいそうで、吹き替えを見ないまま返してしまった。今度、上の家の小さいテレビで見よう。
◇昨日は、ある先生のおうちでパーティーがあって、男性の一人暮らしの方だが、たくさん料理を作って下さってワインもたっぷり飲んで楽しかった。それはいいのだが、私が非常勤で行っているその大学の、教員研究費が何と前年度の半分になるということで、もう正気の沙汰ではない。去年も同じことがあって、その時もあきれはてたのだが今回の半額で二年前の四分の一になるわけで、何をどう執行部の方々は考えているのだろう。
もちろん根本の原因は教育関係の予算を切りつめ続けている政府と、それを許している社会にあるのだが、こんなことでは早晩日本の知性は枯れ果てて滅びるにちがいない。研究や教育に金をかけないでいると、すぐには変化はなくても確実に結果は現れる。
研究費と言っても、学生の教育に必要な本を買ったり、授業の資料をコピーしたりする費用もそこから出すことになっているのだから、私だって非常勤の授業で学生に配布する資料のコピー代金を、少しでも切り詰めないと雇ってくれてる講座に申し訳ない。来年度の授業は、何とか思いきり資料を節約してやるしかない。学生にテキストを買わせる手もあるが、学生だって金がないのに、それもかわいそうだしな。
あとは黒板に書いて、私がしゃべるのを書きうつさせるってことか。それしかないかな。
◇もう一つ、そのパーティーで聞いた話では、博多駅の阪急デパートかどこかが、またしても桜の木を切ってきて一階の広場に飾っているらしい。
九州新幹線が開通して、その開業新装のセレモニーがある時にも、同じことをしていた。私は見ていて、何とひどいことをするのだと胸が苦しくなり、絶対に何か桜の眷属からの祟りがあるぞと思っていたら、あの大震災が起こって、新幹線開通の諸行事は皆パアになった。さすがに恐かったので、人には言わなかったが、桜たちの怒りだと思う気持ちがずっと残った。
「あー、また何かろくでもないことがないといいけど」と私が言うと、誰かが「桜を切るなんて信じられない。どうして誰かが抗議しないんだろう」と言った。「よく通るけど気づかなかった」という人もいた。そこも私の腹の立つ点の一つで、立派な桜を切ってきて、せめてそれが、誰もがおお!とのけぞるくらい美しかったらまだしもだが、あのきらきらがちゃがちゃしたデパートの中では、どんなに美しい桜もまったく目立たないし、晴れない。桜の華やかさや気高さをひきたてる場所ではまったくないのだ。誰も抗議しないというのも、それだよな、きっと。つまりムダに切られて無視されているのよ。そのセンスのなさも許せない。
江戸の吉原では桜の季節に仲の町に、どどっと桜を植えて、花が散ったら撤去したと言う、ものすごいぜいたくをやってたらしいが、それはまだ根から植え替えていたわけだし、並木にするほど豪華で、とことん皆を楽しませていたはずだ。中途半端な及び腰で、ろくに注目されるのでもないすみっこに、ごそごそ飾って、そのために、長くかかって育った美しい樹木を殺して、本当に恥知らずとしか思えない。
せめて、桜の精たちに祈りたいのは、その怒りは不特定多数の大勢に向けずに、そういう企画をした担当者とか作者とかに集中的に向けて恨みを晴らしてほしいということだ。いや、その前に私自身がどこかにちゃんと抗議をするべきなのかもしれない。来週あたり、あそこに行くので、何か考えてみようかな。
◇先日、九条の会の定例会で話が出たが、首相は人質問題で一気に自衛隊の海外派兵に持っていくような世論誘導は不発に終わったものの、地道にめだたず、人が注目したり指摘したりするのも面倒でしないような、ややこしくてこちょこちょした規則の見直しや手直しで、「戦争できる国」つくりに余念がないらしい。何につけてもいいかげんで大ざっぱなのと、この変に姑息なちまちまさとが、いつもながらの実にしょうもない組み合わせで、これに対抗しようと思ったら、こちらも、まさかりのような果断さと、縫い針のような精密さを両方かねそなえて、立ち向かわなくてはならないだろう。
◇「リバティ・バランスを射った男」の映画で、ジョン・ウェインの恋愛場面の演技が下手だとよく言われる、そのあっさりすぎる無骨さを見ていると、同じ西部劇で、どの批評も女の口説き方がすごくうまい(誰かのブログでは「超絶技巧で女をくどく」とあったっけ)とほめていた「3時10分、決断のとき」のラッセル・クロウを見たくなり、ついまたDVDを借りて来た。「エクソダス」のクリスチャン・ベールも出てるし。でも、あらためて思うけど、この映画のクリスチャン・ベールはすごくいいのだが、「エクソダス」のようなカリスマ性となると、あるような、ないような、ちょっと微妙な感じなんだよな。どうしてなんだろう。
◇あー、今日中に仕上げたいゲラの校正があるので、曽野綾子のコラムについては、また明日にでも。