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ほうほう。

「スーパーエイト」の感想を書こうとしたら、あの単純な、この最近見た映画を、すでにあちこち思い出せないのにがく然としている。私がボケたのかい、そんな映画だったのかい(笑)。

もうちょっとしたら、思い出すかもしれないから(もっと忘れるかもしれんけど)、それまでのムダ話をしよっかなー。

きのうだっけ、さんまのトーク番組をぼけっと横目で見てた。美女とブスをグループわけして、あれこれつっつくという番組で、まー女性たちもバカじゃないから、多分製作者のもくろみだったようなたがいの対決もあまりしないもんだから(するかよ、どっちの側にいたって、こわくてやれねーよ、そんなもん)、結局さんまがブス(ったって、けっこうかわいかったぞ)をやたらと攻撃するしかない展開になって、しょーもないけど気の毒なとこもあった。

それはいいが、美女のひとりが、どっかで見た顔と思ったら、これもたまたま時間が空いたときによくぶつかるので、ついついぼけっと見てしまっては、どっとくたびれる「渡る世間は鬼ばかり」の、小島なんたら君のにせ恋人役の人だった。
「阪急電車」とはまた別の意味で、私にゃ死んでも理解できない人間関係ばっかのドラマだから、まー今さらっていえばそうだが、本来の恋人がめっちゃ優等生の女子だから、このにせ恋人役(やってる内に恋人にずるっと移行しそうな)は、よっぽどうまくやらないと視聴者から総スカンを食いそうな役回りだ。特に私は、こういうやり方で近づくやつは男も女も大きらいなのだが、演じる彼女がうまいのか、このとんでもない役柄をそう感じ悪くなく、さわやかに見えるように演じているのが、ご苦労さんなこったと思いつつ、ちょっと感心していた。

で、さんまの番組である。
ひとしきり、さんまがブスと仕分けされている女性のひとりを、いたぶったあと、にせ恋人役の美女の彼女に話をふった。「どんな時に恋がさめるか」だったっけ。
私がぶっとびつつ笑いをこらえたのは、彼女はしれっとすまして、さんまの顔をそこまでやるかというぐらい、とことん攻撃した。もちろん一般的に「歯の出ている人は」ということでだが。

私はこの女優さんのことは、まったく知らない、何しろ名前も覚えてないが、豪快勇敢痛快…かもしれないと微妙に声を出さずに爆笑しつづけたのは、もちろん身体的欠陥をそうやって笑いものにするのはタブーだしよくないし感心しないが、その番組で、そして最近わりと多くの番組で、女性男性問わず、そういう攻撃をしつこくするのが公然と認められるように、わりと最近なってきていて、それを、さんまに限らないが、いわゆるイケメンではない男性司会者がやる。

これは微妙で、そういう外見だから逆にそういう攻撃が免罪されるということもある。いずれにしても、いろんな点で、それは複雑に入り組んだ問題ではあって、そのややこしさをかいくぐって、利用して、そういうタブーが犯されて、イケメンでない人や美女でない人たちを公然と攻撃することが日常になるのを、何となくまずいなあと思うことがあった。

その若い女優さんは、天下のさんまの顔の造作を、唖然とするほどこきおろしたのだが、それは結果として、その直前にさんまが同じことをしたことの意味を、ものすごくはっきりさせた。そして、その場では、さんまもちゃんと応じはしたが、多分ショックを受けたのか、以後は番組の最後まで、その女優さんをまったく指名せず、あきらかに黙殺した。
私は彼女がつらいだろうと思って、それを表に見せてしまわないかとはらはらしていたが、彼女は一応落ちついていた。えらいなあ(笑)。

あんたが同じことされたらどうなの、とか、あんたは平気で笑って受けとめられるの、とか、彼女がどこまで考えたのか、何も考えなかったのかはわからない。どっちにしても、これは危険で大胆で、そして正しい攻撃だったと、今のところ私は考えている。この手の攻撃は、いつも、あっという間にあっけらかんとやられてしまって、常識も良識もタブーも無視されてしまうのだが、彼女がさんまに対してやったのは、その手法を完ぺきにつかっての同じ型破りの、あれよあれよという間になされてしまう攻撃で、みごとといえば、実にみごとなものだった。

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カツジ猫