ぼくたちと、なぞのとだな(カツジ猫)
みなさん、こんにちわ
ぼくがまだ、いきていたころ、かいぬしが、りょこうとかにいって、
なんにちか、おるすばんをすることがありました。
ぼくは、かいぬしが、うえの、おもやにいってるんじゃないかとおもって、
よく、かなあみのにわのなかから、うえのいえを、みあげていました。

るすのあいだ、せわをしてくれたひとから、そのことをきいて、
かいぬしは、ちょっと、きがとがめたようで、
「ばかだねえ」といいながら、ぼくのあたまを、なでてくれたり、
だきあげて、かおをくっつけてくれたりしました。
このなつに、ぼくはしんだので、
からだは、かいぬしが、にわにうめてくれたけど、
いまはもう、どこでも、じゆうにいけます。
かいぬしのめには、みえないらしいけど、
ほかの、まえにしんだねこたちもいっしょに、
まえとおなじように、このいえで、くらしています。
うえの、おもやにも、すきなときにいけます。
おはかも、つちがあたたかくて、
いっしょにうめてくれた、えさや、はなのにおいがしていて、
いごこちは、わるくないから、ときどき、ひるねをしにいきます。
よるも、ひとりですごしたいときは、そこで、ねたりします。
でも、せんぱいねこの、きゃらめるさんや、あにゃんさんといっしょに、
かいぬしのいえのなかにいるのも、わるくありません。
とくに、このなんにちか、かいぬしは、
ちらかった、おもやのかたづけにはまっていて、
まいにちずっと、そこにいるので、
ぼくたちさんびきもついていって、けんぶつします。
おもやには、しょだいねこの、おゆきさんや、そのほかのねこもたくさんいるので、
それもちょっと、たのしみです。
でもかいぬしは、せいりしているうちに、
ふるいほんを、よみだしたりするから、
かたづけは、あんまりすすみません。
「むかしから、こうだったからね」と、おゆきさんは、いっていました。
うえのいえで、ぼくが、いきているときに、あって、しっているのは、
みけねこの、しなもんさんだけです。
かいぬしを、にひきで、とりあいっこしたからか、
しなもんさんは、いまでも、ぼくがきらいらしくて、
あんまり、はなしをしてくれません。
おゆきさんとなかよしのようで、ぼくが、おゆきさんといっしょにいるのも、
なんだか、ふゆかいみたいです。
いきているとき、かいぬしをはさんで、にらみあってたときと
おなじじゃんとおもうときがあります。
「あのこは、いまはもうなくなったけど、『なふこ』という、おおきなみせの、
ぐらじおらすの、きゅうこんのはいった、はこのなかで、あそんでいたらしいよ。
かいぬしが、おみせのひとに、かくにんして、すてねこらしいということで、
つれてかえって、かいだしたのさ。
いつも、あかるくて、かしこくて、まえむきの、いいこだけれど、
おまえのことは、きにさわるらしいね」と、おゆきさんは、いいました。
「なんでですかねえ」と、ぼくがいったら、おゆきさんは、
「おまえが、げんじょうにまんぞくしないで、うじうじしてるのが、
みてて、むしゃくしゃするんだろうよ」といいました。
「ぼくは、かいぬしから、いつも、あきらめがよくて、はきがないと、
いわれていたのに」といったら、おゆきさんは、
「そういうこととは、またちがうのさ」といいました。
おゆきさんも、けんかはつよそうです。
こがおだけど、めがおおきくて、ふちに、くっきり、くろいふちどりがあって、
「あいらいん」をつけてるみたいです。
いきてるときには、いけなかった、いろんなへやにはいってみました。
ぶつだんのおいてある、ちいさなへやを、かいぬしは、かたづけていて、
ふるいとだなのまえにあった、にもつをどけて、
ちょっと、とをあけてみたら、なかは、しゃしんでいっぱいでした。
「ひえぇ~、すっかりわすれていた。ずっとあけてなかったけど、
そういえば、ここにもしゃしんがあったんだ」と、
かいぬしは、しりもちをついていました。
「どうせ、ほとんどは、ねこたちのしゃしんだろうなあ。
これはもうどうしたもんか。
でも、みつからずに、さがしていたしゃしんも、たぶん、ここにあるんだろうな」
と、かいぬしは、びびりながら、よろこんでいました。
こんなふうだから、かたづけはきっと、としをこすんだろうな。
「そろそろ、くりすますつりーもださなくちゃ」なんて、
かいぬしは、あせってたけど。
「それよか、ろーすとちきんは、もうちゅうもんしたのかな。
あれはうまいんだぞ」と、きゃらめるさんは、きにしていました。